「秋山好古」語録集

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男にとって必要なのは若いころに何をしようかということであり、老いては何をしたかということである

好古はめずらしいほどの美男であった。しかし、美男であることを人に言われるほどきらいなことはなかった。目的主義の好古には「美醜は男にとってなんの意味もなさず」と言う。 ちなみに茶碗などの食器も一つしかなく兄弟で飯を食べる時も一つの茶碗を交互に使用し事を足していた。おなかを満たすという目的を果たすのであればそれで良いのであるという。

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そんなものは長じて読め。
おのれの意見もない者が、他人の意見を読むと害になるばかりだ

ある日、真之が新聞をよんでいると、好古が急にひったくる。その時に真之を叱った言葉。 当時の新聞は論説専門のもので、政府にかみついたり、自由民権を鼓吹したりするものが多かった。

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男子は生涯一事をなせば足る

好古が平素自分にいいきかせていた言葉。 自分自身を世界一の騎兵将校に仕立てあげることと、日本の騎兵の水準を、生涯かかってせめて世界の第三位ぐらいにこぎつけさせることであった。現に日露戦争では世界一といわれたコサック騎兵を破り世界の兵学界の研究対象になるほど注目される。

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身辺は単純明快でいい

雨の日、真之が英語塾に通うとしたら下駄のはなおが切れておりそれを直そうとする。そうすると好古より「なにをぐずぐずしとる」とどなられ、真之は結局、はだしで駆け出してゆかねばならなかった。

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歴とした男子は華美を排するのだ。縄でも巻いておけ

真之は普段からよれよれの着物にひものような帯を結んでいたため、それを見た幼少のころ養子にいった横浜の兄に真之に新しい帯を買ってもらい喜ぶ。それを好古に見せた時におもいっきり怒られる。結局もとのひも帯姿にもどさせられる。ちなみに生涯この新しい帯は用いられる機会はなかった

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のっけから運をたのむというのは馬鹿のすることぞ

真之が大学予備門を受験する際に、好古より「合格する自信があるのか」ときかれる。 好古の信条は勝てる喧嘩をしろということであり、とうてい勝ち目のない相手と喧嘩する時もせめて五分の引き分けにもってゆく工夫をかさねてからはじめろということである。さすがに日本連合艦隊の随一の戦略家となる真之にはこの言葉はいわれなくても充分にわかっていた。

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一個の丈夫が金というものでひとの厄介になれば、そのぶんだけ気が縮んで生涯しわができる

真之が大学予備門を受ける際に学資を心配して給費生になりたい旨を好古に相談した時に激しく怒られた言葉。結局は兄の安い給料に頼ることになる。
もしこのとき好古が給費生になることを承知していたら、真之は大学予備門を退学し海軍に行くことはなかったかもしれない。 そして日本の将来は...

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質問の本意をきかずに弁じたてるというのは政治家か学者のくせだ。
軍人はちがう。 軍人は敵を相手の仕事だから、敵についてその本心、気持ち、こちらに求めようとしていること、などをあきらかにしてから答えるべきことを答える。そういう癖を平素身につけておかねば、いざ戦場にのぞんだときには一般論のとりこになったり、独善におち入ったりして負けてしまう

子規が好古に「この世の中で誰がいちばんえらいと思いぞな」とたずねた時に「何のためにきくのだ」と質問の本意を問いただす。ちなみにこのとき好古は「福沢諭吉」と答える。後に軍人をやめ、郷里松山の教師になったことに世間は大騒ぎするが、それは福沢諭吉を啓蒙するところにあった。

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酒をのんで兵を談ずるというのは、古来下の下だといわれたものだ。
戦争という国家存亡の危険事を、酒間であげつらうようなことではどうにもならんぞ

真之が陸軍の参謀本部の若い参謀たちとしばしば会合をもち、ロシア情勢を論じ、政府の軟弱をののしり、主戦論的な気炎をあげていることを耳にした好古が真之を諌めた言葉。 大酒家の兄に酒のことで説教されるとはまことに勝手なものであるが、好古の酒とは「主食」であり、真之のような酒の量を誇ったり、大気炎を上げるための「無理酒」とは格が違うのである。

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偉くなろうと思えば邪念を去れ、邪念があっては邪欲が出る。邪欲があっては大局が見えない、邪念を去るということは、偉くなる要訣だ。

白川義則は陸軍大学校の学生時代に、しばらく秋山好古宅に寄宿していた。その際に好古からいろいろと薫陶を受けた。好古を慈父のように仰いだ白川は、後に陸軍大臣に出世する。

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