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青春編
秋山好古の給料
秋山好古の給料の変遷です。
- 風呂焚きの仕事(天保銭一枚/日)
- 小学校助教(7円/月)
- 本教員(9円/月)
- 師範学校教員(30円/月)
- 東京予備員(8円/月)*陸軍士官学校に入るため
- 旧藩主久松公の輔導役としてフランスへ私費留学(1,000円/年)
- フランス官費留学に変更(1,600円/年)
1871年に、新貨条例により今までの一両小判が一円金貨に変更になりました。
当時の1円の価値は、秋山好古の大好きなお酒(一升瓶)が4銭でしたので、25本買える計算になります。現代なら、一升瓶が2,000円だとしたら1円は50,000円ぐらいということでしょうか。
(お酒はあまり飲まないのでよくわかりません)
ちなみに好古が弟真之を救うためにいった名台詞「おっつけウチが勉強してなお豆腐ほどお金をこらしてあげるぞな」と言ったお豆腐一丁の相場は1銭よりもかなり安かったそうです。
(しかしこの場合は、お豆腐の価値ではなくて、お豆腐ほどの厚みの紙幣と言うことになりますが...)ただ驚くことは、この当時は5円も出せばなんと東京銀座の一等地が1坪が買えたそうなのです。それを思うと師範学校教員時代の30円は凄い給料になります。
なお、正岡子規の日本新聞社での初任給は15円です。そして、松山に赴任した夏目漱石の給料は80円でした。
日清戦争編
秋山好古と指揮刀
日清戦争の出征に向けて、師団長の軍装査閲が広島連兵場で行われることになり、当日は全員戦闘用の軍装で整列することになっていた。
しかし、大隊長である好古は腰の軍刀がふだん使用している指揮刀のままであった。それを副官の稲垣が気づき、好古に言った。
「大隊長殿は、師団長査閲も指揮刀で行かれますか」
「うん、指揮刀じゃ。指揮刀がええ」
と、好古は当たり前のように言う。 指揮刀は演習用に作られた細身の洋刀で、刃もついていないから人は斬れない。騎兵大隊の指揮官がそんな"なまくら"を下げて戦地へ行くというのだ。
「日本刀は荷物になるから置いてきたよ。敵と格闘となれば斬るより突くに限る。
それには指揮刀の方が軽くて便利で騎兵に向いている。だから指揮刀がええ」
と、好古は続けて言う。 武士の家に生まれた好古がその魂である刀を自ら不要の長物にする。それは騎兵に徹すると決心した好古の真の姿であった。
秋山好古と金時計
日清戦争も終結し、好古の帰国送別会が盛大に開かれることになった。 送別会の席上、居留民を代表して総領事伊集院彦吉より提案があった。
「実は私どもの居留民一同で、お世話になった秋山将軍へ何か感謝の記念品をと考えて、700ドルの金時計に決めたところ、天津にはその値段の金時計がないので上海へ注文し、本日はとりあえず目録をお贈りしたい...」
会衆が「賛成」の同意のあと、好古の答辞となったが、好古はそこで言った。
「先程、総領事から不肖秋山の微労に対し、高級時計を贈りたいお話でしたが、私は粗野な武人で、今から赴任する習志野も狐狸の棲む荒野でありますし、そんな高価な品を頂戴してもどうかと思うが、折角のご好意でもあるから、これは現金で頂きたい。」
会場にざわめきが起こった。 好古の日頃の無欲を知っているだけに会衆の驚きは小さくなかった。 この将軍も人並みの浴があったのかと失望を面にする者さえもいた。 とりあえず、主賓の好古がそうして欲しいと頼むのだから、現金700ドルで贈ることに決まった。
すると、また好古が会衆一同に頭を下げて言った。
「甚だ勝手を申しましたが、ご承引下さって感謝いたします。何ら誇るべき功績を残さず、このような贈物を頂き慙愧(ざんき)に耐えません。 ついては頂戴した現金は、そのまま日本居留民小学校へ寄付して、教育資金にして頂きたいと存じますが如何なものでしょう」
会場がざわざわ揺れ動き、ざわめきはやがて大きな拍手に変わったのであった。
秋山好古、戦死?
「アニウエ メイヨノセンシ オナゲキアルナ」 サネユキ
好古戦死の電報が本国の家族のもとに届く。差出人は弟の真之である。
一家は悲嘆のどん底に突き落とされるが、妻の多美子がすぐさま陸軍省へ照会したところ、数日して、戦死したのは実は秋山ヨシオという別人の少尉であることが判明した。 無事に帰国し、家族からこの話を聞いた好古は、このとんだ真之の早とちりが信じれなかった。
「あの淳がのう...」
日露戦争
日露戦争で好古が風呂に入ったのは、たったの三回
日露戦争で秋山好古が風呂に入った回数は、たったの三回でした。
戦地に上陸して十日程の後、曲家店の部落で一回、 母貞の逝去の電報に接して、李大人屯で体を清めたので一回、そして奉天会戦後、平和克服して、冬営中の遼陽へ行った時、兵站司令官の藤田正喬騎兵少佐が、「閣下、立派に出来あがった浴槽がありますから、是非、御覧になって下さいませんか。」というので見てみると、日本式の角風呂で、木の香も新しく、ちょうど好く沸いていたので、藤田少佐と山内副官の勧めもあり、遂に風呂入ります。
これが、秋山将軍第三回目の入浴でした。
日露戦争後
満州の蝿(ハエ)をグッと一呑み
日露戦争も済んで大将になり教育総監になる直前の頃の話です。
好古は憶出の地満州地方の旅行に出た時のこと、奉天で官民合同の大歓迎会が催されました。 しかし時は猛夏の8月で、さすがに蝿が多く、 出るわ出るわで真っ黒く食事を埋める程の蝿が襲来した。その中の2、3匹の蝿が、ビールをちょうど呑まんとする好古のカップの中へ飛び込んでしまった。好古はバタバタとしている蝿をにこやかに眺めていたが、すると急に、それをグッと一呑みにしてしまった。
周りに居た者はこれを見て初めは驚いたが、流石に満州の地で戦ったことのある大将軍ともなると一小物位にはこだわらないのだと、却って感心したと云います。






