HOME > 女たちの「坂の上の雲」 > 秋山多美

秋山多美 -秋山好古の妻-

秋山多美

旧旗本佐久間正辰の長女。

秋山好古が陸軍士官学校を出て下級将校の頃、麹町土手三番町の佐久間正節家の本屋敷の離れを借りて下宿していた。

佐久間家正辰は

「秋山さんは義理堅い」

と感心し、佐久間家には男の子がいなかったことから、

「秋山さんのような方が養子に来て下さると結構だがね、それが出来なきゃ、家は次女に嗣がせてもいいから、長女の多美を貰って頂ければ...」「だって貴方、まだ子供ですのに」

というような話が交わされたこともあったらしい。多美がまだ10歳の頃の話である。

それから10年の月日が流れ、34歳となった好古は少佐に昇進し、母・貞を東京に招き、四谷区信濃町に一家を構えていた。 母や友人から、いろいろ結婚を勧められていたけれども、 好古は

「結婚は青年の気力を消磨する」

と云って耳を貸そうとしなかった。

そんなある日、家の金が紛失する事件が起こった。犯人は女中ということが判ったが、

「こんな事が起こるというのも、要するに家庭を取締る主婦がいないからだ。こんな事で何時までもお母さんの心配さすのは親不孝じゃないか。早く嫁を貰え」

と諭され、好古は年貢を納めることにした。そうなると、話はトントン拍子に進み、そこで佐久間家との縁談の話が持ち上がった。 とくに母・貞が多美を気に入っており、 好古も

「母が気に入りさえすりゃそれでええ」

ということになり、1893年(明治26年)4月2日、結婚をした。 好古36歳、多美24歳であった。

しかし、結婚生活といっても好古は、公休日以外は家に戻ってこないし、戻ってきても座敷に独座して読書をするか、庭を眺めて瞑想するかで、子供はおろか夫人といえども室に入ることは許されなかった。多美自身もはじめは気味悪く思ったと感想を述べている。

結婚生活の35年間、好古はその半分以上家を留守にしており、子女の教育、家政の整理、内外各方面に対する交際など、軍人の妻として多美は秋山家をよく守った。秋山好古の活躍の背後にはいつも多美夫人の「内助の功」が甚だ多くを占めており、また嫁の悪口を言う姑の多い世の中に、多美は姑自慢の嫁であったと云う。

前へ 上へ 次へ