正岡子規と「野球(のボール)」

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正岡子規と野球

2004年(平成16年)春の選抜高校野球は愛媛県代表「済美高校」が、創部2年目で初優勝という快挙を成し遂げました。さらに、その年の夏も準優勝と、久しぶりに野球王国"愛媛"の復活を見ることができました。

かくいう子規も東京大学予備門時代にはアメリカから伝わったベースボールに夢中になります。 余談ですが、高校時代に先生から「野球」という言葉の語源は、子規の幼名である「升(のぼる)」をもじって、「野球(の・ボール)」となったと教わりました。
しかし、どうやらこの説は真実ではないそうです。(残念)

記録には鹿児島出身の中馬庚(ちゅうまかのえ)が英語のbaseballを「野球」と訳したといわれています。 ちなみに、中馬は明治21年に東京大学予備門に入校しており、子規の後輩にあたります。

野球に夢中になった子規は、自らのペンネームを「野球」と名乗り、

 「恋知らぬ 猫のふり也 球あそび」
 「久方の アメリカ人の はじめにし ベースボールは 見れど飽かぬかも」

など、野球に関係のある句や歌を多数残しております。さらには、ベースボール用語を「直球」「四球」「飛球」「打者」「走者」と訳し、一般的に広めたのは子規の功績ともいわれております。とにもかくにも、文学を通じて子規は野球の普及に貢献ししました。

そして、これらのことが評価され、子規没後から100年後の2002年(平成14年)についに野球殿堂入りを果たしています。

なお余談ですが、海軍で初めて野球を広めたのは、子規の親友・秋山真之だそうです。

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「子規居士と余」 高浜虚子談

松山城の北に練兵場がある。ある夏の夕そこへ行って当時中学生であった余等がバッチングをやっているとそこへぞろぞろと東京がへりの四六人の書生がやって来た。余等も裾を短くし腰に手拭をはさんで一ぱし書生さんの積りでいたのであったが、その人々は本場仕込みのツンツルテンで脛(すね)の露出し具合もいなせなり腰にはさんだ手拭も赤い色のにじんだタオルなどであることが先づ人目を欹たしめるのであった。

「おい一寸お借しの」とそのうちでことに脹脛(ふくらはぎ)の露出したのが我等にバットとボールの借用を申込んだ。我等は本場仕込みのバッチングを拝見することを無上の光栄として早速そのを手渡しすると我等からそれを受取ったその脹脛の露出した人は、それを他の一人の人の前に持って行った。その人の風采は他の諸君と違って着物など余りツンツルテンでなく、兵児帯を緩く巻き帯にし、この暑い夏であるのに拘らず尚手首をボタンでとめるようになっているシャツを着、平べったいまな板のような下駄を穿き、他の東京仕込みの人々に比べ余り田舎者の尊敬に値せぬような風采であったが、而も自らこの一団の中心人物である如く、初めはそのままで軽くバッチングを始めた。先のツンツルテンを初め他の諸君は皆数十間あとじさりをして争ってそのボールを受取るのであった。そのバッチングはなかなかたしかでその人も終には単衣の肌を脱いでシャツ一枚になり、鋭いボールを飛ばすようになった。そのうち一度ボールはその人の手許を外れて丁度余の立っている前に転げて来たことがあった。余はそのボールを拾ってその人に投げた。その人は「失敬」と軽く言って余からその球を受取った。この「失敬」という一語は何となく心を牽きつけるような声であった。やがてその人々は一同に笑い興じながら、練兵場を横切って道後の温泉の方へ行ってしまった。

このバッターが正岡子規その人であった事が後になって判った。

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「松山の野球開山」 河東碧梧桐談

当時まだ第一高等学校の生徒位にしか知られていなかったベースボールを、私が習った先生というのが子規であった。私の16になった明治21年の夏であったと記憶する。当時東京に出ていた兄から、ベースボールという面白い遊びを、帰省した正岡にきけ、球とバットを依託したから、と言って来た。子規と私とを親しく結びつけたものは、偶然にも詩でも文学でもない野球であったのだ。それで松山のような田舎にいて、早く野球を輸入した、松山の野球開山、と言った妙な誇りをも持っているのだ。

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"升さん"は負けることが嫌いなのです

松山には「坊ちゃんスタジアム」という球場があります。
子規の友人として夏目漱石は認めはしますが、野球の話など全く触れていない「坊ちゃん」を、どうしてわざわざ球場の冠名に採用したかについてはとても不満でなりません。
いつまでも「坊ちゃん」に甘えようとする保守的な気質には全く情けなく閉口します。

私的な意見ですが、やはり子規の名前に由来する「野球(のぼる)スタジアム」と採用して欲しかったです。 後になって球場近くの駅名に「野球(の・ボール)駅」とつけてはいますが、それでも、全くもって先人の偉大な功績を台無にする愚行だと思います。

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正岡子規記念球場

2006年(平成18年)5月、開園130周年を迎える東京・上野公園内に「正岡子規記念球場」が誕生しました。 都立上野恩賜公園野球場の改修を機に愛称とし、球場脇には野球にちなんだ子規の句碑が建立されました。

正岡子規記念球場

子規は明治19年頃から同23年頃にかけて上野公園内で野球を愉しみました。 子規の随筆「筆まかせ」には、1890年(明治23年)3月21日午後に上野公園博物館横空き地で試合を行ったことが記されており、子規はこのとき捕手でした。

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正岡子規が訳した野球用語

野球用語
英語 子規の読み方 子規の訳 現代語
Catcher キャッチャー 攫者 捕手
Pitcher ピッチャー 投者 投手
Direct ball ジレットボール 直球 直球
Pitch ピッチ 正投 投球
Ball ボール
Bat バット バット
Home Base ホームベース 本基 本塁
Striker ストライカー 打者 打者
Home in ホームイン 廻了 生還
Runner ラナー 走者 走者
Out アウト 除外 アウト
Inning イニング 小勝負 イニング
Game ゲーム 全勝負 ゲーム
Dead Ball デッドボール 死球 死球
Full Base フルベース 満基 満塁
Dtanding スタンヂング 立尽、立往生 残塁
Out Curve アウトカーブ 外曲 アウトカーブ
In Curve インカーブ 内曲 インカーブ
Drop ドロップ 墜落 ドロップ
Short stop ショルトストップ 短遮 遊撃手
Right Fielder ライトフィルダー 場右 右翼手
Central Fielder セントラルフィルダー 場中 中堅手
Left Filder レフトフィルダー 場左 左翼手
Fly Ball フライボール 飛球 飛球
Fair Ball フェアボール 正球 フェアボール

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