日露戦争 1905年(明治38年)

第一・二・四軍は遼陽会戦に勝利したが、黒溝台の戦などで苦戦を続けた。

旅順攻撃も総攻撃の繰り返しで犠牲は多大であったが、ようやく1905年(明治38年)1月に占領し、

日本軍は全力で奉天においてロシア軍主力に決戦を挑み占領する。(奉天会戦

しかし兵力・弾薬を消耗し尽くし、日本はアメリカの仲介による講和に期待した。

5月ロシアのバルチック艦隊が日本海海戦で日本艦隊に敗北するや、アメリカ大統領ルーズベルトが講和に乗りだし、

1905年(明治38年)9月、アメリカ東海岸のポーツマスで日本からは小村寿太郎、ロシアからはウイッテが出席して講和条約を結んだ。

月日 日 本 ロシア
政 府 陸 軍 海 軍
1月1日 非常特別税制改正・相続税法・塩専売法公布 旅順市街地への一斉攻撃を開始 旅順要塞司令官ステッセル降伏申し入れ
1月2日 陸軍省、旅順開城を発表 水師営で旅順開城交渉 旅順軍戦闘行為中止
開城規約調印
1月4日 大本営、第三軍を再編し鴨緑江軍の新設を満州軍に通報 満州軍は鴨緑江軍の新設を反対
1月5日 乃木・ステッセル、水師営で会見
1月9日 秋山支隊永沼挺身隊、大樹屯を出発 バルチック艦隊本隊と支隊とが合流する
1月12日 第三軍の再編と鴨緑江軍新編成される(軍司令官川村景明大将)
秋山支隊長谷川挺身隊、出発
1月13日 旅順、入城
1月15日 第三軍北上開始
1月18日 島村速雄少将、第二戦隊司令官に転出
1月22日 小村外相、駐米公使高平小五郎に対し、講和問題に関する日本政府の意見を米大統領に伝えるよう訓令 満州軍、奉天占領への作戦計画を決定  ぺテルブルグで請願デモの労働者に軍隊が発砲、「血の日曜日」となる
1月24日 黒溝台の日本軍へ攻撃開始
1月25日 黒溝台の戦い始まる 黒溝台を占領
1月26日 第八師団、黒溝台のロシア軍を攻撃
満州軍総司令部、黒溝台へ第五・第三・第二師団急派
1月27日 東郷司令長官、各戦隊に艦艇修理完了次第、各指定地域で対露艦隊決戦訓練を命令
1月29日 黒溝台のロシア軍を撃退 ロシア軍退却
2月9日 川村景明鴨緑江軍司令官、遼陽で児玉総参謀長と作戦協議
2月11日 永沼挺身隊、新開河の鉄橋爆破
2月13日 川村鴨緑江軍司令官、本営のある鳳凰城着
2月14日 戦艦三笠、呉を出航
佐世保経由で鎮海湾に向かい、待機
バルチック艦隊、後発隊とも合流する 
2月16日 第三太平洋艦隊、リバウ軍港を出航
2月17日 第三軍、旅順から遼陽西方に転進集結
2月18日 長谷川挺身隊、張家湾の停車場を強襲、鉄道を破壊
2月19日 奉天付近の作戦開始、鴨緑江軍行動開始
2月20日 大山満州軍総司令官、各軍司令官に、奉天攻撃について訓令 戦艦三笠、佐世保軍港を出港、鎮海湾に向かう
2月21日 長谷川挺身隊、白都納(べとな)の敵兵舎に爆薬20個投下 連合艦隊、猛訓練開始
2月22日 奉天攻略開始につき、鴨緑江軍先鋒部隊、前進開始
2月24日 鴨緑江軍、清河城占領
2月25日    ドッガー・バンク事件解決
2月27日 満州軍、砲撃開始 出羽中将の南遣支隊、仏印沿岸からシンガポール、ボルネオ沿岸を偵察航行
2月28日 大山巌総司令官、3月1日を期して総攻撃開始を命令
3月1日 大山巌総司令官、全軍に総攻撃を命ずる。しかし、ロシア軍に阻まれ進軍できず
3月2日 奥第二軍、前進。
野津第四軍第十師団、肉弾攻撃を開始(失敗)。
乃木第三軍、奉天西方へ進軍
3月3日 第三軍、ロシア軍と激突
ロシア軍の激しい抵抗を受けるもなお前進を続ける
3月4日 第四軍、総司令部児玉総参謀長より督戦命令(乃木第三軍の支援)を受ける
3月5日 第三軍秋山支隊、奉天北方のロシア軍退却路に迫る
3月7日 クロパトキン大将、奉天退却命令を出す
3月8日 大山巌総司令官、全軍に総追撃を命ずる
第三軍、転湾橋―八家子―三台子の線に進出
3月9日 鴨緑江軍・第一軍・第四軍渾河の線に進出
風塵に乗じて運河を渡り、ロシア第一軍を分断
長谷川挺身隊、四平街の西で一大騎兵部隊に遭遇、包囲される。間隙を衝き敵陣を突破する
3月10日 永沼挺身隊、鉄道遮断
第三軍、黒木第一軍との距離を20キロまで詰めるが、奉天包囲は果たせず
第ニ、四軍、奉天城内へ突入、奉天占領
大山総司令官、戦闘終結宣言。
奉天会戦終わる
ロシア軍、包囲網の隙間を通り奉天城を整然と退却
3月13日 鴨緑江軍、渾河を渡り興京占領
3月15日 駐米仏大使ジュラセン、米大統領と日露講和について話合う
3月16日 高平小五郎駐米公使、米大統領と会見 満州軍、鉄嶺占領 バルチック艦隊、マダガスカルを出航
3月18日 ニコライ、クロパトキンを召還し、総司令官にリネウィッチを任命
3月22日 貴族院令改正公布 児玉総参謀長、参謀本部の要請で帰京の途につく
3月23日 参謀総長山県有朋「政戦両略概論」を首・蔵・外相に提出 
3月25日 第三艦隊、スエズ運河通過
3月29日 陸軍、脚気増加に対処し、米麦7:3の混食奨励を訓令
3月31日 3月以後の作戦方針決定
新設の第13師団に樺太攻撃への動員下令(海軍の護衛都合つかず延期)
4月1日 刑の執行猶予に関する法律公布 永沼挺身隊、帰還
独立第13師団(樺太攻略部隊)編成される。師団長原口兼済中将
4月7日 児玉総参謀長・政府・元老間で、政戦両略の具体策を決定
4月8日 シンガポール沖を渡航するバルチック艦隊が目撃される バルチック艦隊、マラッカ海峡通過
4月9日 バルチック艦隊がマラッカ海峡を通過したとの情報を入手
4月14日 バルチック艦隊、仏印カムラン湾沖に投錨
4月17日 英、日英同盟改訂につき提議  連合艦隊、北方海峡重視の哨戒を南方重視に切り替え
4月21日 閣議で日露講和条件を決定 仏、バルチック艦隊のカムラン湾退去を要請
5月9日 第三太平洋艦隊カムラン湾に到着。バルチック艦隊と合流
5月14日 バルチック艦隊の行方を見失う バルチック艦隊、カムラン湾沖を出向、ウラジオストクへ向かう
5月19日 輸送船5隻、サイゴンへ向け分離
5月22日 宮古沖東方で東シナ海に進入
仮装巡洋艦2隻、宗谷海峡へ向け分離
5月23日 最後の洋上補給を実施。
バルチック艦隊司令官フェリケリザム少将病死
5月24日 新日英同盟の日本案決定  「三笠」にて会議
北上に針路を変更する意見が出るが、島村少将の進言により対馬海峡に留まる
5月25日 宮古島の島民がバルチック艦隊に遭遇する 輸送船9隻、上海へ向け分離
残る38隻、対馬海峡へ向かう 
5月27日 信濃丸、バルチック艦隊発見(02:45)
日本海海戦始まる
五島列島西北で信濃丸と接触
日本海海戦
5月28日 連合艦隊、残存バルチック艦隊に砲撃開始 バルチック艦隊壊滅
ネボガトフ少将降伏
5月29日 海軍省、日本海海戦を詳報
5月30日 佐世保港に帰港 宮廷軍事会議で戦争続行を決議
5月31日 高平駐米公使に、米大統領への講和斡旋依頼を訓令
6月1日 高平小五郎駐米公使、ルーズベルト米大統領に日露講和斡旋を依頼
6月2日 米大統領、駐米露大使カシニーに講和を勧告
6月4日 米大統領、駐米独大使と日露講和につき会談
6月5日 ルーズベルト大統領、駐露大使にロシア皇帝に講和を提議するよう訓令
6月7日 ニコライ皇帝、米大統領の日露講和提案を内諾
6月9日 米大統領ルーズベルト、日露講和を勧告
6月10日 米大統領の講和勧告に応じ全権委員を任命する旨、駐日米公使に回答
英、新日英同盟の日本案に対する英対案を提示
6月12日 ロシア外相、講和勧告承諾を米大使に回答
6月14日 連合艦隊の編成替え(第3期)
6月18日 大本営、第13師団に樺太出撃を訓令
6月21日 新日英同盟の第二次案提出
6月27日 第3・第4艦隊をもって北遣艦隊を編成、樺太攻略を支援 戦艦ポチョムキン号で水兵反乱
6月30日 日露講和の条件を閣議決定
7月3日 講和全権委員に小村外相と高平駐米公使を任命
7月4日 樺太遠征軍(第13師団)、北遣艦隊に護衛されて出港
7月7日 東京で対講和同志連合会(会長河野広中)開催 樺太遠征軍、樺太南部に上陸
7月8日 日露講和会議出席の日本全権、東京を出発 樺太南部上陸部隊、大泊占領
7月11日 ニコライ二世、対日講和条件を認可
7月12日 樺太南部占領
7月13日 ロシア講和全権委員更迭、ウイッテ就任
7月14日 山県参謀総長、満州軍への御沙汰書を持って出発
7月19日 対露同志会などが講和問題同志連合会を組織 ロシアの講和全権ウイッテとローゼン、ポーツマスへ出発
7月24日 第13師団主力、樺太北部上陸
7月25日 小村寿太郎全権ニューヨーク着、米大統領を訪問  アレキサンドロフスキー占領
7月27日 ルイコフ占領
7月29日 桂首相、タフト米陸軍長官と会談、韓国・フィリピン問題で覚書成立 第13師団、樺太全島を手中にする
7月30日 孫文、中国革命同盟会結成 
7月31日 樺太全島に軍政施行 樺太のロシア軍降伏
8月7日 米大統領、桂・タフト覚書を承認
8月8日 ロシア全権ウイッテらポーツマス着
8月10日 日露講和会議ポーツマスで開催、第1回正式会見
8月12日 第2回日露講和会議、日本提出案逐条審議
第二次日英同盟調印(ロンドン)
8月14日 第3回日露講和会議
政友会、政府の講和方針支持を表明
8月15日 第4回日露講和会議
8月16日 第5回日露講和会議
8月17日 第6回日露講和会議
講和問題同志連合大会、東京明治座で開催、講和条件譲歩反対決議
8月18日 第7回日露講和会議
8月19日 ロシア皇帝、皇帝諮問機関の設置を発布
8月22日 米大統領、日本の金銭的要求放棄を勧告
8月23日 第8回日露講和会議
8月25日 山路愛山ら国家社会党結成
8月26日 第9回日露講和会議、決裂寸前にもう一回の会議を約す
8月28日 御前会議、償金・割地を放棄する講和条件譲歩を決定
8月29日 第10回日露講和会議妥協成立
9月1日 日露休戦に関する議定書調印
9月2日 政友会院外団有志・在京代議士の会議、政府府問責を決議、憲政本党政務調査会反対決議
9月3日 大阪市民大会、講和破棄を決議
9月5日 日露講和条約調印(10月16日公布)
日本は樺太南部の領有と遼東半島の租借権、南満州鉄道の経営権を得る
東京日比谷で講和反対国民大会(日比谷焼打事件)、全国で講和反対運動が起こる
日露ポーツマス条約調印
9月6日 東京市及び府下五都に戒厳令宣布
新聞紙・雑誌の取締りに関する緊急勅令公布
9月7日 「萬朝報」「都」「二六」「報知」の四新聞発行停止
9月9日 東京市内各所に検問所を設置
「東京朝日」「京都朝報」「大阪日報」「大阪朝日」発行停止
9月10日 桂首相待命書奉呈、慰留、警視総監更迭
雑誌「直言」発行停止
東郷司令長官上京
9月11日 戦艦三笠爆発事故、佐世保港に沈坐
9月12日 「東京新聞」「山梨新聞」発行停止
9月14日 満州軍総司令官大山巌、全軍に休戦命令
9月17日 関東総督府設置、総督大島義昌
9月18日 羅津沖で休戦地域に関する協定を締結
9月27日 第二回日英同盟協約公布
10月1日 横須賀海軍工廠で組立てた米国製ホーランド型潜水艦5隻、船籍に入る
10月16日 日露講和条約公布
10月20日 連合艦隊、東京湾に凱旋
10月21日 秋山騎兵団の軍隊区分を解く
10月23日 凱旋観艦式を挙行
10月26日 ペテルブルクに最初の労働者代表ソビエト成立
10月30日 ニコライ二世、立法権をもつ議会招集を宣言
10月31日 ウィッテを首相に任命
11月2日 伊藤博文、韓国差遣特別大使に任命
11月17日 第二次日韓協約調印、外交権掌握
天皇、伊勢神宮にご参拝、平和克服をご報告
11月25日 日露講和条約批准書交換
12月20日 連合艦隊の編成を解き、新たに第一艦隊、第二艦隊、南清艦隊及び練習艦隊を編成する
12月21日 第一次桂内閣辞職 連合艦隊の解散式
12月23日 モスクワの武装労働者の蜂起で市街戦

日露戦争 1905年(明治38年)