日露戦争 1904年(明治37年)

日本はロシアに交渉して、満州から軍隊を引き上げさせようとしたが、ロシアはこれを聞き入れなかったので、

1904年(明治37年)2月、ついに満州で日本とロシアは戦争を始めた。

2月、日本軍は仁川に上陸、仁川・旅順港のロシア艦隊を奇襲攻撃、2月10日宣戦布告した。

第一軍は韓国は北進し鴨緑江の戦に勝ち、遼東半島に上陸した第二軍も南山で苦戦したが、第三軍に旅順攻略を委ね第四軍とともに北上した。

第一・二・四軍は遼陽会戦に勝利する。

月日 日 本 ロシア
政府・メディア 陸 軍 海 軍
1月2日 英外相、日本への財政援助は財政にゆとりなしと回答
1月5日 陸・海軍省、軍機・軍略事項の新聞雑誌に掲載を禁止 アレクセーエフ総督、ロシア皇帝に日本との戦争を進言
1月6日 ロシア駐日公使ローゼン、ロシア側最終案を外相小村寿太郎に提出
1月7日 閣議、参謀総長・軍令部長及び各次長が出席し、日露開戦問題につき検討
1月11日 閣議、日露開戦時期検討
1月12日 御前会議で日本側最終案を決定
1月16日 「臨時派遣隊編制と韓国派遣」裁下
1月26日 元老会議、財政問題検討
小村外相、駐露公使栗野慎一郎にロシアの回答を督促するよう訓令
春日・日進、コロンボ出港
1月27日 ロシア皇帝、アレクセーエフに日本との戦争回避を指示
1月28日 御前会議にて日本との戦争回避をめぐり陸軍と海軍の意見が対立
1月31日 ロシアに2月2日、日露交渉最終案に対する回答を要請
2月1日 大山参謀総長「露軍に関する情況判断」を上奏、内閣に通報
2月3日 芝罘領事から入電「旅順のロシア艦隊出港、行方不明」
元老会議
2月4日 御前会議、対露交渉を中止、軍事行動採用(開戦)を決議
枢密院議長・元老伊藤博文、金子堅太郎に米工作を依頼
寺内陸相、第12師団長井光中将に臨時派遣隊編成と韓国派遣命令の発動を打電
2月5日 外相、駐露公使栗野慎一郎に国交断絶の対露通告及び在露公館の撤退を打電(日露国交断絶) 第一軍に動員令
第12師団先遣部隊(韓国臨時派遣隊)の編成完結し、輸送船への乗船開始
連合艦隊に出撃命令
2月6日 栗野公使、ラムズドルフ露外相に国交断絶を通告、夜に露都を離れる 東郷連合艦隊司令長官、佐世保を出撃 ロシアも動員令布告
2月7日 仁川港の巡洋艦千代田、瓜生戦隊と合流のため出港
2月8日 第12師団先遣部隊、仁川港に上陸  瓜生司令官、駆逐艦ワリャーグ艦長ルードネフに通告書を送る 
連合艦隊の駆逐隊、旅順港のロシア艦隊を夜襲(第一次旅順口襲撃)
ロシア皇帝、アレクセーエフに攻撃判断を一任する 
2月9日 仁川上陸の第12師団木越安綱司令官は二個大隊を率いて京城(ソウル)へ進入 第一次旅順口攻撃
瓜生戦隊、仁川港外でロシアの2艦を撃破(仁川沖海戦)
ロシア艦、仁川港内に逃れて自爆
2月10日 ロシアに対し宣戦布告の詔書を発布する 参謀本部、第一軍の編成を決定
陸軍省、陸軍従軍記者心得を定める
連合艦隊、旅順攻撃を終え仁川沖に投錨 日本に対し、宣戦布告
2月11日 宮中に大本営を設置する ウラジオ艦隊、津軽沖で商船「名古浦丸」を撃沈
2月12日 大本営を公示 陸軍軍服、濃紺色よりカーキ色に改める(夏より着用開始) 海軍省、海軍従軍記者心得を定める 中露公使パブロフは仁川で仏軍艦パスカルに乗船し韓国から撤退
2月13日 韓帝、日本へ海軍の勝利を祝う勅語を提出
大本営の編成完了
第一回大本営会議(御前会議)開催
第二次旅順口攻撃
(旅順艦隊、港内より動かなくなる)
2月16日 第12師団、仁川上陸を開始 日進、春日横須賀着
2月17日 閣議、戦費調達のためロンドン市場での英貨公債募集の方針を決定 
2月19日 東洋艦隊司令長官スタルク中将解任、マカロフ中将に交代
2月21日 参謀本部、臨時軍用鉄道監部を編成(京城・新義州鉄道建設にあたる) クロパトキン陸相、満州軍総司令官に就任
2月23日 日韓議定書調印
2月24日 日銀総裁高橋是清を英国に派遣 第三次旅順口攻撃
第一回旅順口閉塞作戦開始(失敗)
2月27日 日韓議定書公布
2月28日 陸海軍幕僚会議、第一軍主力の大同江河口上陸作戦実施を決定
3月1日 第9回総選挙(政友会133・憲政本党90・帝国党19) マカロフ東洋艦隊司令長官、旅順口に到着
3月2日 帝国議会召集
3月3日 大本営、第一軍黒木為楨大将に対し訓令 
3月4日 第三艦隊を連合艦隊に編入
3月6日 第二艦隊、ウラジオストックを威嚇砲撃
3月7日 伊藤博文、韓国大使となる    
3月8日 第一軍主力は宇品から出発を開始 太平洋艦隊司令長官にスタルク中将に代わってマカロフ中将が就任
3月9日 第四次旅順口攻撃
3月10日 第一軍主力、大同江河口上陸開始
3月14日 第一軍司令官、大同江河口上陸、同軍掌握
3月15日 帝国議会開院式
大本営、第二軍編成下令
(司令官は奥保鞏大将)
3月21日 黒木大将の第一軍主力、守る南浦に上陸 第五次旅順口攻撃 
3月27日 第六次旅順口攻撃
第ニ回旅順口閉塞作戦決行
(広瀬武夫少佐戦死)
3月28日 定州占領
3月29日 海軍省、第ニ回旅順口閉塞作戦公表
4月1日 非常特別税法、煙草専売法公布
国定教科書の使用開始
4月4日 下士卒家族救助令公布
4月6日 陸海軍幕僚会議、第二軍上陸作戦実施を決定
4月8日 「日露戦争写真画報」第1巻発行  
4月11日 大本営、第二軍と連合艦隊の共同作戦方針決定  秋山真之、旅順港外の機雷敷設を発案
春日・日進、連合艦隊編入
4月12日 第七、八次旅順口攻撃
連合艦隊、旅順港口機雷敷設作戦実施
4月13日 ロシア艦隊の新任司令長官マカロフ中将座乗の「ペートロパーヴロスク」が旅順港外で触雷・爆発して沈没、長官戦死。
4月16日 スタルク中将、司令長官に再任命されるも着任できず
4月21日 第一軍、鴨緑江左岸義州付近に開進完了 軍事探偵横川省三、沖禎介をハルピンで銃殺
4月23日 第二軍、第一回輸送部隊が72隻の輸送船団により出港
4月24日 連合艦隊司令長官東郷平八郎と第二軍奥保鞏が会見、第二軍5月4日上陸開始を決定
4月25日 ウラジオ艦隊、元山沖で五洋丸、金州丸を撃沈
4月26日 鴨緑江渡河作戦開始
4月28日 機雷をウラジオストク港外に敷設  
4月29日 鴨緑江対岸のロシア軍に勝利し、満州・朝鮮国境地帯を日本の制圧圏とする  
4月30日 太平洋第二艦隊(バルチック艦隊)編成
5月1日 日露戦争実写映画初上映 第1軍、鴨緑江渡河作戦成功(鴨緑江の戦い)
九連城を占領
鴨緑江威嚇砲撃
5月2日 乃木希典、新編第三軍司令官に就任 太平洋第二艦隊司令長官にロジェストウェンスキー少将を任命
5月3日 第三回旅順口閉塞作戦開始、暴風雨で混乱、犠牲多数
5月5日 奥大将の第二軍、遼東半島に上陸開始
5月6日 第一軍、湯山城付近にまで進撃
5月7日 寛典県占領
三十里塁、鉄道破壊
5月8日 東京で市民大祝勝会開催、堤燈行列、10万人参集
「日露戦争写真画報」第2巻発行
5月10日 第一回英貨公債募集規定を公布 韓国・安州の日本軍守備隊を襲撃 
5月11日 第一軍、鳳凰城占領
5月12日 水雷艇四八号が触雷沈没
5月14日 東清鉄道管理のため陸軍鉄道堤理部編制 通報艦宮古触雷沈没
巡洋艦「吉野」と「春日」が衝突し「吉野」沈没
5月15日 初瀬、八島、ロシア側の機雷に触れ沈没
5月16日 砲艦大島と赤城が衝突し大島沈没
5月17日 第二軍第二回輸送部隊、塩大墺に上陸開始 駆逐艦暁触雷沈没
5月19日 独立第10師団、大孤山に上陸
5月20日 遼陽から南下を開始したシベリア第1軍団の精鋭、蓋平以南に集結
5月22日 第二軍、南山攻撃のため前進開始
5月25日 第二軍、金州・南山総攻撃開始(南山の戦い)
5月26日 第二軍、金州・南山占領
(乃木希典長男・勝典戦死)
東郷司令長官、遼東半島南部の直接封鎖を宣言
5月27日 大本営、第二軍の編成を変更  大連市から退却
5月29日 大本営、第三軍の編成を決定 
5月30日 第二軍、大連占領
5月31日 韓国の保護国化の方針を決定 第三軍司令官乃木希典大将と軍司令部、広島に集結
6月1日 大本営、ロシア大部隊南下の情報入手、第二軍に通報  乃木軍司令官、司令部要員と「八幡丸」で広島県宇品港を出航
6月4日 第三軍司令部一行塩大墺上陸
6月6日 乃木第三軍司令官、南山に到着
6月8日 「日露戦争写真画報」第3巻発行 岫巌の戦い
6月10日 大本営、6月以降の戦略方針決定  第10師団、岫巌占領
6月11日 極東総督アレクセーエフ、旅順艦隊にウラジオストク回航を命令
6月13日 第二軍、北進を開始
6月14日 第二軍、得利寺の戦いを開始
6月15日 得利寺会戦。第一軍、ロシア南下を阻止 玄界灘の大悲劇 ウラジオストク艦隊、対馬海峡で日本陸軍運送船、、常陸丸、和泉丸を撃沈、佐渡丸を砲撃
6月16日 第三軍乃木希典、ステッセルに降伏を勧告 ステッセル降伏勧告を拒否
6月17日 第10師団、上新開嶺占領
6月20日 満州軍総司令部設置、総司令官大山巌大将、総参謀長児玉源太郎大将
6月21日 第二軍、熊嶽城を占領
6月22日 レンネンカンプ少将指揮の歩騎兵、靉陽辺門の黒木軍を逆襲
6月23日 大連に初めて日本輸送船が入港する 旅順港外の海戦 旅順艦隊、ウラジオストックに向かうが、連合艦隊と接触、再び旅順港に逃げ戻る
6月24日 第一軍、摩天嶺を占領 海軍陸戦重砲隊、大連上陸
6月26日 第11師団、大連港が見渡せる歪頭山(わいとうさん)とロシア軍の防備手薄な老横山を攻撃し占領する
6月30日 独立第10師団、分水嶺―新開嶺の線に進出
第二軍、大石橋・営口を占領
後備第十歩兵旅団を加え第四軍が編成(司令官野津道貫)
ウラジオ艦隊、韓国・元山港侵入、襲撃
7月1日 最初の専売煙草販売(敷島8銭・大和7銭・朝日6銭)
7月6日 大山巌と児玉源太郎、東京を出発
7月8日 「日露戦争写真画報」第4巻発行 大山巌と児玉源太郎、広島着
第二軍、蓋州河左岸高地を占領
7月9日 蓋平の戦い
7月10日 大山巌と児玉源太郎、安芸丸にて広島出港
7月12日 大本営、陸海軍部へ旅順要塞早期攻略を要請  海軍軍令部長ら、参謀総長に対しロシアのバルチック艦隊東航に備えるため、旅順攻略促進の希望を申入れ
7月14日 大山巌・東郷平八郎会談
満州軍総司令部、大連上陸
7月15日 大山巌満州軍総司令官以下の満州軍総司令部が大連に上陸
第一軍、橋頭付近要地占領
7月17日 第一軍、摩天嶺へ反撃のロシア軍を撃退(摩天嶺の戦)
7月18日 橋頭の戦い ウラジオストク艦隊、本州東海域に出撃
7月20日 ウラジオストック艦隊、津軽海峡で高島丸を撃沈
7月23日 第二軍、大石橋の戦いを開始 ウラジオストック艦隊、九十九里浜沖から下田沖に現れ、商船を撃沈
7月24日 御前崎沖で英船ナイトコマンダー号を撃沈
7月25日 第二軍、大石橋北方高地を占領
7月26日 第三軍、ロシア軍前進陣地への攻撃を開始
分水嶺の戦い(第十師団)
7月28日 第三軍、前進陣地の攻略成功
7月30日 第三軍、前進陣地を占領、旅順を封鎖
楡樹林子の戦い(第四軍)
ウラジオストク艦隊、帰還
7月31日 第四軍、柝木城を占領
第一軍、楡樹林子の戦い・様子嶺の戦いを開始
満州軍総司令部を蓋平側官家子に設置
8月1日 第一軍、楡樹林子と様子嶺付近を占領
8月3日 第ニ軍、海城・牛荘を占領
8月06日 大狐山、小狐山への攻撃開始
8月7日 第三軍、旅順市街砲撃を開始 ニコライ二世、旅順艦隊へウラジオストク回航を命令
8月8日 「日露戦争写真画報」第5巻発行 大狐山占領 旅順艦隊、ウラジオストックへの出港命令下る
8月09日 小狐山占領
8月10日 黄海海戦(丁字戦法失敗) 旅順艦隊ウラジオストックへ向けて脱出を図るが失敗
8月14日 第三軍、旅順要塞砲撃のための攻城砲陣地の確保完了 蔚山沖海戦(ウラジオ艦隊を撃破)。日本海・黄海の制海権を確保 ウラジオストック艦隊壊滅
8月15日 第三軍右翼部隊が高崎山にいたる
8月19日 第三軍、第一回旅順総攻撃開始
15センチ砲による盤龍山への砲撃を実施
8月22日 第一次日韓協約調印(韓国を保護国化) 第三軍第九師団が盤龍山要塞を占領
8月24日 第三軍、旅順総攻撃を中止 太平洋第二艦隊(バルチック艦隊)の派遣を決定
8月25日 第一軍、遼陽に向け作戦開始(遼陽会戦)
第二師団、弓張嶺を夜襲
8月26日 第一軍、遼陽東方のロシア前進基地占領
8月28日 第二軍、第四軍、遼陽に向け作戦開始
8月31日 第二軍、遼陽前面の首山堡で苦戦
9月4日 陸軍省、遼陽会戦(橘中佐の奮戦)を詳報 第一軍、第四軍、遼陽を占領
9月5日 二〇三高地への攻撃も準備する
9月7日 クロパトキン大将、奉天到着
9月15日 児玉源太郎総参謀長遼陽を発ち、旅順へ向かう
児玉総参謀長旅順着
9月19日 第三軍、要塞前面の前進堡塁群への攻撃を開始
初めて二〇三高地に攻撃を実施
9月20日 第三軍、竜眼北方・水師営中央・海鼠山防塁占領、二〇三高地は苦戦
9月22日 第三軍、攻撃を中止
9月23日 第三軍、二〇三高地攻略断念、撤退
9月25日 グリッペンベルグ大将、二軍司令官に就任
9月26日 シベリア鉄道バイカル湖迂回線完成
9月28日 海軍陸戦重砲隊の旅順港砲撃開始
9月29日 徴兵令改正公布
10月1日 二八サンチ榴弾砲、王家甸で試射
10月2日 二八サンチ榴弾砲、旅順港内砲撃開始
10月4日 撫順―奉天間で前進開始
10月6日 児玉総参謀長、旅順より遼陽に帰着
10月07日 満州軍司令部で幕僚大会議 旅順の艦艇、日本の海軍陸戦重砲隊の砲撃で大損害、錨地を変更
10月8日 本渓湖で攻撃開始
10月9日 児玉総参謀長、前線基地羅山視察沙河会戦始まる。日本軍大勝利。
10月10日 第一・第二・第四軍に前進命令
10月12日 第四軍、三塊石山に夜襲、同陣地占領
10月13日 児玉総参謀長、第七師団所有の弾薬を沙河戦に転用することを大本営に要求
10月15日 万宝山占領 第二太平洋艦隊(バルチック艦隊)バルト海リバウ軍港を出港
10月16日 万宝山を奪回
10月17日 沙河ロシア軍退却
10月20日 弾薬不足で攻勢中止。
以後、両軍冬営に入り「沙河の対陣」となる
10月21日 バルチック艦隊本隊、デンマーク沖の北海で英漁船群を日本駆逐艦と誤認し砲撃(ドッガー・バンク事件)
10月25日 二八サンチ榴弾砲全18門の設置が完了
10月26日 第三軍、第二回旅順総攻撃開始
10月27日 独露同盟条約交渉を開始
10月30日 旅順要塞へ突撃、撃退され攻撃失敗
10月31日 第三軍、旅順総攻撃中止
11月2日 旅順日市街の軍火薬庫に砲弾命中、爆発2回
11月3日 二八サンチ榴弾砲、海軍重砲による堡塁、砲台、旅順港内艦船への砲撃開始 旅順造船所の石炭庫に砲弾命中、大火災
バルチック艦隊、スエズ運河にて運河航行可能な艦隊と分離する
11月5日 バルチック艦隊本隊、タンジール出航
11月9日 大本営陸海軍幕僚会議
11月10日 天皇、後備師団編成要領を裁下
11月11日 大本営、第七師団の第三軍増援派遣を決定
11月13日 第三軍による二〇三高地占領を要請 大山総司令官拒否。
第七師団輸送開始
11月14日 御前会議、旅順攻略の急務について
11月16日 社会主義協会に結社禁止令 バルチック艦隊後発隊リバウ港を出航
11月19日 第七師団の先遣部隊大連上陸
11月20日 乃木第三軍司令官、大山総司令官に旅順攻撃計画報告
11月21日 大山総司令官、第三軍旅順攻撃計画を認め訓令
11月22日 第三軍に対して勅語、旅順攻略の急務について
11月23日 乃木第三軍司令官、旅順攻撃について軍命令  独露同盟交渉不調、露艦隊に対する石炭補給のみ妥結
11月24日 第3太平洋艦隊の極東派遣決定
11月25日 バルチック艦隊本隊、ギニア湾カブーンに到着
バルチック艦隊支隊、スエズ運河通過
11月26日 第三軍、第三回旅順総攻撃開始、決死白襷隊(特別予備隊)の攻撃失敗
11月27日 正面攻撃を中止し、二〇三高地攻撃へ作戦変更
11月28日 第21通常議会召集 二〇三高地総攻撃開始
11月29日 第三軍司令官、第七師団の投入を決意
満州軍総参謀長児玉源太郎、煙台から旅順へ向かう
11月30日 第21通常議会開会 第三軍、二〇三高地の一角を占領。すぐに奪還される
児玉総参謀長、大連着、泊
12月1日 第三軍、二〇三高地の一角を奪還される
児玉総参謀長が旅順に到着。二八サンチ榴弾砲を集中投入するよう指示する
日本に占領された二〇三高地の一角を奪還 
12月2日 児玉総参謀長、前線陣地の高崎山で陣頭指揮
12月4日 二十七門の砲の陣地変換完了する
12月5日 二〇三高地を占領
12月6日 児玉総参謀長、旅順艦隊砲撃を命令 戦艦ポルタワ、レトウィザン、ペレスウェート撃沈 
12月7日 戦艦ポビエダ、巡洋艦バルラダ撃沈
12月8日 巡洋艦、数隻の駆逐艦撃破される
12月10日 児玉総参謀長旅順を離れる
12月11日 旅順艦隊全滅
バルチック艦隊本隊、アンギュナ・ベキュナに到着
12月15日 旅順艦隊の壊滅を確認  コンドラチェンコ少将、東鶏冠山堡塁で二八サンチ榴弾砲の破片で戦死
12月18日 旅順要塞東鶏冠山北堡塁の爆破に成功、占領
12月28日 三笠、呉軍港に入り、修理に着手 バルチック艦隊支隊、マダガスカル島ノシベに到着
12月29日 旅順要塞二龍山堡塁を占領  バルチック艦隊本隊、マダガスカル島のディエゴスアレス港に到着
12月30日 連合艦隊、佐世保や呉で修理、補給
12月31日 旅順要塞松樹山堡塁占領

日露戦争 1904年(明治37年)