正岡子規と与謝野鉄幹

~ 「子規鉄幹不可並称論」~

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「子規鉄幹不可並称論」

与謝野鉄幹

正岡子規は短歌革新運動の「先鞭」をなしたのは、与謝野鉄幹であること認めていました。 二人は互いに旧派和歌を駆逐しようと、協力し合っていました。

鉄幹自ら以て、世人皆酔へり、吾独り醒めたりと為す。鉄幹自ら恃む所の、何ぞ夫れ堅にして頑なるや。余も亦、破れたる鐘を打ち、錆びたる長刀を揮うて舞はむと欲する者、只其力足らずして、空しく鉄幹に先鞭を着けられたるを恨む

しかし、明治33年5月、短歌雑誌『心の花』に掲載され投書をきっかけに、新詩社と根岸短歌会は対立することになります。

毎号の選者に与謝野鉄幹、正岡子規、渡辺光風、薫園なんどの新派若武者をして乙課題の方を分担なさしめ

「倶楽部」の投書欄(『心の花』、明治33年5月)より

伊藤左千夫

これを見た、子規門下の伊藤左千夫は、翌月の雑誌で、

「これは不埒な投書で、甚だよろしからぬこと」

と憤慨し、さらに翌月にも、

正岡師と他の両三氏と同列に見るさへあるに、
若武者なんどと稍軽侮の言を弄せるにあらずや

と、子規が同列の新派に数えられたことを怒り、師が蔑視されたというのでした。

正岡子規

これに対して、当の子規本人は鉄幹宛に書簡を送り

(前略)若し小生が原稿を書く丈の勇気快復致候暁の事を考ふるに、或は明星の味方として拙稿を投ずる事を止め、御互に文壇の敵同志として喧嘩する方面白からずやと存じ候。
是迄は新派を一団として急派に抵抗する必要も有之候へども、旧派声をひそめて事実上大略降伏したる今日は、新派同志の喧嘩こそ必要と存じ候。明星掲載の歌に就きては、小生共の友人の中には随分議論も有之候事故、之を幸に陣頭に相見ゆる機と致し度、その方が歌学界の為めにも宜しかるべきかと存じ候。尤も敵同志と相成候とも場合によって拙稿御掲載相願候かも知れ不申候へども、兎に角両方に別れ歌戦するも快事と存じ候。

鉄幹に宛てた子規の書簡(明治33年8月1日)より

兎に角、両派に別れて論争することが必要であると述べています。
この書簡に対して鉄幹は、「気持ちよく論戦しよう」と丁寧な返信を子規に送っています。

ところが、『日本』の記者であった阪井久良岐が、

鉄幹抔と同一趣味に見られては、イヤハヤ何とも頭からお話にならないので、駁論する勇気も出なくなった。歌壇に先輩顔して新奇な言を吐く馬鹿大名に一決戦を試みる

阪井久良岐「歌壇方言」(『大帝国』、明治33年9月)より

という挑戦状を出してしまいます。

与謝野鉄幹

これに怒った鉄幹は、

十分文壇の礼譲を尽くしている僕だ。その僕と名を並べて書かれるのも嫌やだといふことは、文壇の徳義を無視した常識はづれの無礼の暴言ではないか。(中略)
左千夫や阪井に書かせずに、君自信の名で子規は文壇の破廉恥漢でないといふことを弁明し玉へ。
兜を脱いだの、後輩の鉄幹など言ふことは、和歌革新の歴史上、
君が健全なる頭脳である以上は、断じて僕に向って言はれた義理ではあるまい。

与謝野鉄幹「子規子に与ふ」(『明星』6号、明治33年9月)より

と、激しく子規に対して抗議します。
さらには、新詩社系の『関西文学』において、久良岐のような意見に同調する子規は
「尊大、卑劣、傲慢、無礼の虚名家」
であるとし、鉄幹こそ新派和歌の機軸であることを強調したのでした。
また、「国詩革新の歴史」(『心の花』、明治33年9月)において、鉄幹の考えた和歌革新の歴史を述べ、鉄幹が子規の後輩でないゆえんを明らかにします。 伊藤左千夫

すると、今度は伊藤左千夫が、

左千夫の投稿を子規の指示であるとは馬鹿馬鹿しい邪推であり、制作上の非難にたいして自家の経歴談をもち出したのは見当違いで下品である。新詩社の短歌が、「われわれ一人一人の発明したる詩なり、などとは畢竟出たらめの寝言に過ぎざるのみ。既に三十一文字の形式を襲踏して居るにあらずや(中略)
『明星』の歌はすこしも古人の歌に似たものがないなどと強弁できなかろう、邪念粉々自慢傲慢自惚をとったら何も残りはしない

「歌に就きての吾が今日の考」(『大帝国』、明治33年10月11日)

と、その伝統拒否の態度を非難したのでした。反論し泥沼化します。

正岡子規

こうした騒ぎの中で子規は、鉄幹宛てに、

貴兄の小生に対する攻撃は邪推と誤報を信ぜらるるとの二言により起り候様相見え候

と、自分の本意でなかったことを詫びるのです。

すると、これに同調するかのように、阪井も、、

歌壇方言」は子規に無断で掲載したものであり、そのために「兄をして子規子に対する悪い感情を抱かしめたるは余が不注意である

として鉄幹に謝罪します。

与謝野鉄幹

論戦はそれまでで、鉄幹の復書もあったりして、いちおう両者の感情のわだかまりは解けていくことになります。鉄幹は子規宅を訪ね和解し、
『明星」七号誌上で、

小生は爰に子規君に対する、明星第六号紙上の失言を謝し、且つ同時に公にせる、「心の花」紙上の子規君に対する評言をも取消し申候。 猶この感情問題に就て、阪井君の男らしき御態度には、
十二分の敬意を表し候

『明星』第七号(10月12日)より

と感情問題は一掃されたことを公にします。

こうして事件は一見、終息したかのように見えましたが... (つづく)

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