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下の絵は、『明星』創刊号(明治33年4月)に描かれた「新派歌人の花見」と題された風刺画です。

左から順に、竹柏会、いかづち会、根岸短歌会(子規)、新詩社(鉄幹)、若菜会を表わしていますが、これについては、子規門下の斉藤茂吉が、「明治大正短歌史概論」で次のように述べています。
朝鮮帽を冠り、太刀を差し、酒樽を持ち、虎に乗っているのは新詩社の鉄幹である。 鉄幹は大きい眼鏡をかけている。頭に冠を着、裃を着、下半身は洋服短ズボンで、右手に写真機を持ち、下駄を穿いているのは正岡子規の根岸短歌会である。大学の制服を着、左手にノートを持ち、右手に雷神の太鼓を持っているのは雷(いかづち)会である。それからシルクハットを冠り、眼鏡をかけ、黒の紋付、長裾で、足に女の駒下駄を穿き、右手に染ぬきの旗を持っているのは佐佐木信綱の竹柏会である。後ろの方に、撃剣装束で立っているのは若菜会である。向うは低い一めんの谷間で、桜花が爛漫と咲いている。この画は小画であるが、当時の新派の流派をよくあらわしているのでここに伝えた。
斉藤茂吉「明治大正短歌史概論」(昭和4年)より
刀をさして虎にのり、丈夫調の雄壮さをもって士気を鼓舞する鉄幹に対して、子規は伝統的な下駄をはきながらも、カメラ(写実)を持ち、または下半身は短ズボンながら、上半身はきわめて懐古的な装いであるという時代錯誤的なイメージを揶揄しています。
根岸派の歌風は、子規時代と大差なく、古語を盛に使った万葉調で、変化という上から言えばそう目立つような飛躍は無いと言っていい。万葉集を講じ、所謂新派の歌を排撃し、写実写生に立脚して空想美麗の歌風に就かなかったことは、和歌の正道を歩んだと謂うべきであるが、その範囲が狭隘単調で、地味で懐古的であった点は、世間一般の好尚からいえば寧ろ落伍者の感を抱かせたものの如くであった。そこで、一般の新派歌壇からは殆ど全く黙殺されている。当時の和歌評論、和歌辞典、評判記のたぐいを見ればこの趣が極めて顕著である。
斉藤茂吉「明治大正短歌史」(昭和6年)より
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