正岡子規と与謝野鉄幹

~ 「子規鉄幹不可並称論」~

HOME > 「坂の上の雲」ライバル伝 > 正岡子規と与謝野鉄幹

二人の対立

正岡子規   与謝野鉄幹
正岡子規(本名:常規)
与謝野鉄幹(本名:寛)
1867年(慶應3年)9月17日生まれ 誕生 1873年(明治6年)2月26日生まれ
愛媛県松山市出身 出身 京都府出身
俳人・歌人 分野 歌人・詩人
根岸短歌会 流派 新詩社
「竹乃里歌」 歌集 「東西南北」、「天地玄黄」、「紫」など

1900年(明治33年)、『心の花』の「倶楽部」という投書欄に、

毎号の選者に与謝野鉄幹、正岡子規、渡辺光風、薫園なんどの新派若武者をして乙課題の方を分担なさしめ(省略)

という文章が掲載されました。

子規門下の伊藤左千夫は翌月の雑誌で、 「これは不埒な投書で甚だよろしからぬこと」 と憤慨し、さらに、「正岡子規と他の両三氏と同列に見るさえあるに、若武者なんどと稍軽侮の言を弄せるにあらずや」 と、子規が同列の新派に数えられたことを怒り、師が蔑視されたとを非難します。

これが俗に言う、「子規鉄幹不可並称論」です。

これに対し、与謝野鉄幹は「子規子に与ふ」(「明星」六号)で、子規が門下を使って個人攻撃させたと激しく抗議します。

ここに、子規の「根岸短歌会」と鉄幹の「新詩社」に依る、両派の意地をかけた論争が生じたのでした。

  上へ 次へ