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明治海軍の戦略戦術の基礎を形成したのが佐藤鉄太郎と秋山真之でした。
佐藤は主として国家戦略や海軍戦略の分野で、秋山は海軍戦術、戦務などの分野で日本海軍の基礎を作ります。
佐藤鉄太郎はイギリス・アメリカに留学し多数の著書を残しますが、「孫子」を
古今東西の兵書中戦略を論すること最も宏遠にして、而かも良く徹底したる好著なり
佐藤鉄太郎著『意訳孫子』より
奥深ナル兵理ヲ悟リ雄大ナル而カモ威力アル訓戒ニ接セント欲セバ(中略)
孫子及ビ三略ノ如キ大作佐藤鉄太郎著『海軍戦理学』より
と高く評価し、「孫子の兵法」や東洋の兵術を深く研究します。
佐藤は海軍大臣山本権兵衛の命を受けて、陸主海従の思想を打破するため1902年(明治35年)に、『帝国国防論』と著述し、同書は同年10月28日には明治天皇に捧げられました。佐藤はその後史例を追加し、1908年(明治41年)9月には『帝国国防史論』として再出版しますが、この本は後の日本海軍に “Blue Water Navy” (外洋海軍)への道を歩ませる理論的支柱となります。
一方、秋山真之は1897年(明治30年)に渡米しマハン大佐に師事し、帰国後は主として海軍戦術や作戦要務を海軍大学校で講じ、日露戦争では連合艦隊作戦参謀として対露作戦計画を立案しますが、その計画には日本古来の「待ち伏せ」「朝駆け」「夜討ち」「追い討ち」などが適用されていました。
また、敵前の直角回頭で有名な「丁字戦法」は甲越軍学の「車係り」戦法の応用と言われています。
秋山は日露戦争後に再び、海軍大学校で海戦の体験を加味して、艦隊編成や艦隊運動などについて講じ、「海軍基本戦術」「海軍応用戦術」「艦隊運動程式」などの講義資料を作成しますが、以後これら講義資料は日本海軍の戦術を律する「海戦要務令」の基本理念となりました。
さらに秋山は「日本は仁義の国であり、憎悪に駆られ必要以上の殺傷を避けるべきである」と、
孫子の「戦わずして人の兵を屈する」「不戦屈敵主義」を重視していたといわれます。
参照:日本歴史第520号(1991年9月号) 「孫子の兵法」と日本海軍(平間洋一)
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