佐藤鉄太郎と秋山真之

~ 受け身の佐藤、攻めの秋山 ~

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受け身の佐藤、攻めの秋山

日露戦争における花形としての両者の長短優劣は、「陸海軍人物史論」の批評に見ることができます。

八月十日の黄海海戦と、八月十四日の蔚山沖海戦とは我第一、第二の両艦隊が各智勇を傾倒せる日露接攘以来の大海戦にして、或意味に於ては寧ろ日本海海戦の夫れにも勝りて意義あり且価値ある海戦とも見るべきものなり。而して此二大海戦の隠れたる立役者は第一艦隊にありては秋山真之にして、第二艦隊にありては佐藤鉄太郎なりとす。

秋山、佐藤の二人は日露戦役を通じて各第一、第二両艦隊の智嚢を以て推す可く、其人物、力量略々相匹敵するものあり。而して両者の特色から言えば秋山は職務の鞅掌に於て絶倫の手腕を有し、佐藤は戦史の造詣に於て部内多く其此を見ず。一は奇才縦横也。従って其戦法たるやまた頗る活発精妙にして人をして容易に端倪す可からざらしむるものあり、他は誠実剛毅也。故に其戦法たる亦自ら正々堂々、飽くまで厳正の態度を失わず。一は奇兵を用ゆるに長じ、他は正兵を用ゆるを能とす。

渠等二人は性格の相違著しきと共に、其戦法の差異も亦著しきこと斯の如し。現に日露海戦当時の如きも、秋山が最も熱心に旅順港の閉塞を主張し計画せるに反し、佐藤は寧ろ敵艦を海洋上に誘出して之を撃滅するに如かずとし、両者の意見相容れざるものありしと伝う。而して其孰れが果して可なりやは之を戦果に徴するも的確に判断すべき材料あることなく、従ってまた能く吾人の眼を以て之を観る時は八月十日の黄海海戦は遂に秋山流の戦法を発揮せるものにして、八月十四日の蔚山沖の海戦は畢竟佐藤流の戦法を実施せられしものなるに過ぎず。

「陸海軍人物史論」より

日露戦争が始まったとき、佐藤鉄太郎は中佐、秋山真之は少佐でした。ところが秋山は、第一艦隊参謀、佐藤は第二艦隊参謀になります。連合艦隊司令部は第一艦隊司令部が兼ねましたから、秋山がより多く権威を持って佐藤に訓令を出す形になります。

佐藤はそれが絶えず癪にさわっていた。だから秋山のやり方を必ずしもつねに良いとは言わない。佐藤はむしろ戦史家です。歴史上のファクトを全部精密に洗い出して、過去の史実に共通する戦理を引き出す人でした。実戦の場合、彼は、正々堂々と、危なげのない戦い方をとった。秋山は学者肌ではない。もっと適応性のある、俊敏的な作戦家が本領です。
軍人としてはこのほうが上だというのが私の意見です。

「歴史と人物」明治ライバル物語(島田謹二談)より

第一艦隊が第二艦隊に指令を出すような位置にあるものですから、ウラジオストックを抑える第二艦隊(佐藤)はいつも東郷艦隊(秋山)の指令を受けました。戦史を調べると、秋山を出す訓令のほうが実際に当っていたのでした。

佐藤のやり方は堅実ですが、受身ですね。艦隊の主力は安全な尾崎湾に集結して、海峡には哨戒部隊だけを出して見張らせる。秋山の考えは、もっと積極的です。
敵をおびき寄せろ。そのためにウラジオの近くに前進根拠地を構えて、そこまで進んで、敵をおびき出すのがよいというのだったらしいですが、その攻撃的な戦策を佐藤はとらない。堅実一途に徹して対馬海峡を守るという専守防御を守りぬいた。そのためウラジオ艦隊にたびたび名をなさしめたとみられます。

「歴史と人物」明治ライバル物語(島田謹二談)より

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