HOME > 「坂の上の雲」ライバル伝 > 秋山真之と正岡子規 > 子規庵の地球儀
子規が8年に及ぶ闘病生活を送った東京根岸の子規庵。
真之がアメリカに旅立った後、
子規はこの庵からほとんど出ることができなくなりました。
子規庵には、子規が愛用した小さな地球儀が残っています。
その北半球の一部に、青い縁取りがあり、これは子規自身によるものであり、
囲ってある場所は、憧れの地、アメリカ大陸でした。
子規は地球儀を通して、世界に想いを馳せることしか出来なくなって行きます。
子規記念博物館に残る真之の七通の手紙。
その最後は留学中のアメリカから病床の子規をねぎらって出されたものでした。
自らの顔写真を張り合わせたその葉書には、ただ一つの句が書かれていました。
(明治33年1月1日)
遠くとて 五十歩百歩 小世界(NHK番組より)
真之はこの頃、子規が少しでも楽になるよう、軽い毛の蒲団をアメリカから贈っています。
枕許にちらかってあるもの、絵本、雑誌等数十冊。
置時計、寒暖計、硯、筆、唾壷、汚物入れの丼鉢、呼鈴、まごの手、ハンケチ、
その中に目立ちたる毛繻子(じゅす)のはでなる毛蒲団一枚、
これは軍艦に居る友達から贈られたのである。『病牀六尺』(6月7日)より
海外の真之から、精一杯の励ましを受けた子規。
激痛に耐えながらも、この頃から新時代に相応しい名句を次々と生み出し、その名声を高めて行きました。
明治33年留学を終えた真之は帰国、二人は再会を果します。
真之は文壇で名を挙げた子規の成功を知り、
「はじめはたしか小説家になるようにいうとったが、俳句で偉くなったのか、兎に角えらいわい」
と喜んだと云います。
真之も留学の成果を生かし、活躍することを共に誓い合いました。
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