HOME > 「坂の上の雲」ライバル伝 > 秋山真之と正岡子規 > 血に啼く子規(ほととぎす)
一方、子規は未だ大学での生活を謳歌していました。
旅行を愉しみながら和歌や俳句に取り組む子規。
しかし、子規は歌を一生の仕事にしようとは考えていませんでした。
子規には一つ大きな夢がありました。
それはまだ見ぬ西洋を訪れることでした。
アメリカの 波打ちよする 霞かな
子規がとりわけ興味を抱いていたのは、日本を開国に導いた国、
アメリカでした。
ところが、子規の夢の一切砕く、転機の時が訪れます。
明治22年5月9日、子規は寄宿舎内で突然喀血、医師から結核と診断されました。
当時、不治の病として恐れられていた病気です。
一命はとりとめたものの、この時以来、子規は自らの前途に暗い不安を抱くようになりました。
秋山真之は明治23年7月、
兵学校を卒業海軍少尉候補生となります。
10月、真之は軍艦「比叡」に乗込み、
海外への演習公開に出発しました。
目的地はトルコイスタンブール。
真之が初めて訪れる世界有数の大都市でした。
子規記念博物館に残る真之が子規に宛てた手紙の六通目は、トルコに到着した直後に出されたものです。しかし、この文面には異国の風物については何一つ書かれてはいません。
(明治24年1月1日)
謹賀新嬉
コンスタンチノープル(イスタンブール)まで来たが
別に驚く程のものはない
世界は広くしてよほど狭くござ候(NHK番組より)
世界はどこに行ってもたいして驚くことはなかったと書き送る真之。
体調の不良で海外に出ることは難しくなっている子規を思いやる内容でした。
子規は遠い異国から届いた真之の手紙に励まされ、自分が打ち込むべき仕事を見定めて行きます。
子規が選んだのは、幼い頃から興味を抱いてきた俳句や和歌を、文学の一つとして研究することでした。明治25年9月、子規は大学を中退、新聞社に入社。
文藝記者として新しい時代に相応しい俳句や和歌の改革に取り組むようになります。
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