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真之が海軍兵学校で学んだ場所の一つが広島です。
当時欧米列強に対抗するため、海軍は日々厳しい訓練をしていました。
真之は海軍軍人として新たな出発点に立ちます。
しかし、その前途は決して平坦ではありませんでした。
真之の後輩であった海軍軍人桜井真清の証言記録に依りますと、
兵学校に入学した真之の様子は、次のように記されています。
将軍(真之)が殴られたのは喫煙室で、大勢が将軍を其処へ連れ込んで、
「貴様生意気だから殴る」
と宣言を与えて置いてポカポカやった。将軍は平然として抵抗もせず殴られていた。
当時兵学校には薩長閥とか佐賀閥とかいったようなものがあり、夫れが校内に蔓って、番カラが幅を利かせた時だった。だから殴った所で、別に大事件でもなければ、珍しいことでもなかった。桜井真清著『秋山眞之』より
維新に負けた藩(賊軍)の出身者ということで、真之は屈辱を味わいます。
(以下は、NHK番組から引用しています)
子規記念博物館に秘蔵された真之の子規宛の手紙七通の内、
三通は海軍兵学校入学前後の時期に立て続けに出されたものでした。
その三通はいずれも英文で書かれていました。
(明治19年7月27日)
ミスターマサオカ
君と別れてから百年以上もたったような気がする
一日千秋の思いにせかされ上京したものの
東京についてみれば君は日光に旅に出たとのこと
いたく失望させられた
僕には何も楽しみがなく、「しっとしっと」と繰り言ばかり言っているよ(NHK番組より)
続く手紙で、真之が打ち明けているのは子規への金の無心でした。
(明治20年4月13日)
マイディアマサオカ
清水君の追善会には参列するつもりだったが金がなく出ることができなくなってしまった
清水君の墓石建立費用の分担金を立て替えてもらえないだろうか
友人の中で僕ほど君に頼る人間はいないだろうな(NHK番組より)
切実な悩みを英文で子規に書き綴る真之。
しかし、その半年後の手紙では真之に心境の変化が表れています。
中身は子規が後輩の為に兵学校に適した予備校を問い合わせたことへの回答です。
(明治20年10月28日)
マイディア
わが学校の入学試験に合格するためにどの予備校が一番よいかと迷っても仕方がない
ただ学習あるのみだろう(NHK番組より)
海軍兵学校から入学して一年、真之はようやく自信をつけはじめていました。
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