HOME > 「坂の上の雲」ライバル伝 > 秋山真之と正岡子規 > 友の死に誓う
青春を謳歌していた二人。
しかし東京の学生生活は楽しいばかりではありませんでした。
当時の仲間に正岡子規の幼なじみで松山出身の清水則遠(のりとお)という青年がいました。
子規と真之と清水の三人は馬が合い、どこに行くにも一緒でした。

(写真:前列左より清水則遠、正岡子規、後列左より柳原極堂、吉川祐輝)
(秋山真之の)留学中に子規君の病気はだんだん進んで来て、枕許で談柄に窮した時などにはよく同郷人の人物評をやった。子規君の口にかかると大概のものは子供のようになってしまうが、其の中で軽重されたものは真之君と、も一人清水則遠という人であった。 此の人は、ぼうッとした牛のような人であったらしい。一体がちょこちょこした重みのない松山人のうちで、此清水という人などはたしかに異彩であったに違い無い。惜しい事に脚気衝心で早く亡くなられたという事じゃ。余は古く子規君と一緒に谷中に在る其の墓に詣った事を記憶している。
高浜虚子『ホトトギス』(明治38年7月1日発行)より
明治19年4月14日、この清水が病にかかり命を落とします。
栄養不足からくる脚気が悪化して起きた心臓麻痺でした。
親元から届くはずの仕送りが届かず、薬が買えなかったのでした。
子規は幼なじみの死に激しいショックを受け、一時錯乱状態に陥ったと云います。
この時、子規をしっかりと支えたのが秋山真之です。
「のぼるさん、しっかりおしや」
と、落ち着かせ、励ましあい、清水の葬儀を執り行います。
亡くなった清水の実家宛てに、子規が出した手紙が残されています。
長さは7メートルを超え、現存する子規の手紙の中で、最も長いものです。
葬儀に出られない松山の遺族の為に、友を送った日の様子を絵を交えて、面々と記す子規。
傍に居ながら救えなかった無念さと、詫びる気持ちを繰り返し綴っています。
子規はこの手紙のなかで、次のような誓いを立てています。
ご令弟の名をあげることを
今後の自分の一生の目的にするつもりです。
そのためにはまず第一に僕の名をあげることにつとめ
命をかけようと思います
志半ばにして亡くなった友人の死は、子規と真之に必ず立身出世し、
功を成し遂げようと決意させる大きな転機となりました。
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