加藤友三郎と島村速雄

~海軍の双璧~

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海軍兵学寮騒動

海軍兵学寮

海軍兵学寮時代に、賄征伐と称して生徒が申合せて乱暴を働いた事件がありました。

午後、騒動が起ります。
午前の礼砲操作を、横須賀分校に派遣中の六期生たちにだけ任せるのは不当だと言い立てていた七期生たちが、外出してヤケ酒を飲み、帰校してから校舎の窓ガラス、ランプ、机などを破壊し、それに八期生たちも加わったのでした。

校長の中牟田倉之助少将は、「首謀者は越中島で銃殺する」 と激怒します。

七期首席の島村は首謀者ではありませんでしたが、芋掘り(鹿児島の方言で、酔っ払って器物などをぶっ壊すこと。海軍隠語の一つ)には加わっていました。

翌日、海軍大輔の川村純義が来校して調べます。島村は騒動の一部始終を説明し、騒動の責任は自分にあると申告します。川村と中牟田は島村が首謀者とは思いませんでしたが、事態の収拾には島村を首謀者として厳しく謹慎の罰をあたえるのが良策と考え、その処置を取ります。
それらを見聞きしていた六期生の斎藤実は、感嘆して島村を大器と見ます。

一方、加藤はというと、「おれは、やらんよ」といって騒動には加わりませんでした。
彼は情熱家ではありましたが、血気にはやって暴れるのはバカのすることだと考えていました。
常に冷静に物事を批判する加藤は、人に雷同することなどは最も嫌いなことでした。

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