HOME > 「坂の上の雲」ライバル伝 > 加藤友三郎と島村速雄 > 目立つ島村、地味な加藤
この二人を比較すると、さまざまな興味ある点が見出される。まず頭脳の良さは、この二人とも、同級の中で卓抜しており、特に数学は、二人とも特に得意とするところであったが、その頭の緻密さを、しいて比較するならば、加藤の方が、やや優れていたといわれます。しかし、寛容さとか対人関係においては、島村の方が人気であり、いわゆる人間的魅力という点では、島村は同僚の間で特に目立っていました。それは、一つには、島村が体身巨大、悠揚迫らざるものがあったためといえます。青年時代から強健な体格にめぐまれていなかった加藤は、性格も地味であり、交友関係は悪くはなかったとしても必ずしも人気の中心というわけにはいかなかったようです。
これに反して、島村はいつも目立つ存在でした。当時はまだ、海軍における薩派の勢力は盛んで、高知出身の島村や、広島出身の加藤は、ともすると鹿児島出身の同窓生から圧迫をうけることがありがちでしたが、そういう場合、目立たない加藤よりは、体格もよく男振りもよい島村の方が、圧迫の的となるのでした。 しかし、島村は、頭が良かったし、生来親分肌であったので、圧迫に対して戦うということをせず、殴られれば殴られるままの無抵抗主義であったから、まもなく圧迫や偏見は解消し、次第に同級の間の人気を集めることになりました。特に島村の酒は、加藤と同じく、まさに斗酒辞せずというところであったから、一層交友を拡げることができたのだった。
加藤が、頑健な肉体をもっていなかったにもかかわらず、どうして大酒を嗜んだかは、むしろ肉体的嗜好からであったろうといわれます。いわば酒飲みの素質をもっていたようです。ただ、彼の兄種之助が、やはり酒がつよくて、加藤がまだ少年のころから、兄の酒の相手をさせられたことが、きっかけになったということはいえますが。
同じ大酒をするにしても、加藤は静かに飲んで、興到れば皮肉をとばして自ら楽しむという飲み方であったのに対して、島村は、終始歓談の中心となって人々を喜ばせることに努めます。中尉時代に、英領マルタにおいて、落馬して重傷を負ったとき以来、短期となり、酔余豪傑ぶりをみせるようになったといわれますが、平素は、本来の寛大な紳士振りに変りはありませんでした。
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