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児玉家屋敷跡
場所 : 山口県周南市徳山
撮影日 : 2008年06月01日
児玉家は、1668年(寛文8年)就忠の時に徳山藩に任官し、150石を賜り馬廻りの役をつとめた。
就忠より七代後の半九郎忠順は児玉源太郎の父で、代官や評定役をつとめた。
源太郎は、1852年(嘉永5年)2月25日、この屋敷(当時横本町)で生まれた。
その当時使用していた井戸が現在も保存され、「児玉大将産湯之井戸」の標石がある。
児玉家は、半九郎の死後、1858年(安政5年)浅見栄三郎の二男巌之丞(のちに次郎彦)を源太郎の姉久子に迎えて家を嗣がせた。
次郎彦は、藩の大目付等をつとめたが、正義派の一人として活動したため、1864年(元治元年)8月12日早暁、俗論派のためにこの屋敷の玄関で非業の最期をとげた。
(次郎彦が凶刃を受けた現場には、その後源太郎によって碑石が建てられた。)
次郎彦の死後間もなく、藩の命令で家名は断絶・邸宅は没収された。
やがて正義派の世となり、1865年(慶応元年)7月13日、源太郎が家名を相続した。
この屋敷は、明治になって、その当時の屋敷の一部を残して大部分は近代的な児玉文庫となったが、昭和20年太平洋戦争中の徳山空襲で焼失してしまった。
周南市教育委員会より
![]() 児玉大将産湯之井戸 |
![]() 児玉文庫の碑 |



