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広瀬武夫の墓

場所 : 大分県豊後竹田市鴻巣台

撮影日 : 2008年05月31日

広瀬武夫の墓

広瀬武夫は、海軍兵学校に入り、日清戦争で勲功後、6年間ロシアの国情を研究して帰国。
1904年(明治37年)の日露戦争で、二回に亘り旅順港入口を封塞するため日本船を沈める作戦の陣頭指揮をとりました。二回目の時、閉塞作業を終えて帰ろうとすると、ボートに杉野兵曹長の姿が見えないので、沈みゆく船内に探しにかえりました。しかし、発見する事が出来ずボートに乗り移ろうとしたその時、砲弾が体に命中し一瞬のうちに武夫の姿は一片の肉を残して海中に消えてしまいました。35才の若き生涯でした。
武夫は、軍人としてだけではなく、彼の残した航海日誌、報告、手紙等に秀れた文学的才能が伺えます。特にロシア留学時代にその才能が多く見出され、ロシア文学の研究者として功績を残しました。また、ボルガ川を舟で下ったり、馬橇(そり)でシベリアを横断するなど大冒険家でもありました。柔道にも長じ講道館長より六段を贈られました。
この墓地のある台地を鴻巣台(こうのすだい)といい、西南戦争の激戦地でもあります。
(竹田市「歴史と文化を考える会」より) 広瀬中佐の墓

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