HOME > 小説「坂の上の雲」 > 司馬遼太郎の年譜

西暦 年号 月日 出来事
1923年 大正12年 8月7日 大阪市浪速区西神田町879に生まれる(本名、福田定一)
父是定は薬剤師、母ナヲエは奈良県北葛城郡磐城村大字竹内に生まれた
1936年 昭和11年 大阪市立難波第五塩草尋常小学校終了後、私立上宮中学校へ進学
中学1年から、南区御蔵跡町の市立御蔵跡図書館へ通いはじめ、出征の時期までつづく
13
1941年 昭和16年 4月 国立大阪外国語学校(現・大阪外国語大学)・蒙古語部に入学 18
1943年 昭和18年 9月 学生の徴兵猶予停止のため、仮卒業で学徒出陣
兵庫県加古川の戦車第十九連隊に入営、初年兵教育をうける
20
1944年 昭和19年 12月 満州、四平陸軍戦車学校を卒業。 牡丹江省石頭の戦車第一連隊に見習士官として赴任 21
1945年 昭和20年 8月 栃木県、佐野で敗戦を迎え、復員。 大坂の家は空襲で焼失していたので母の実家へ帰る 22
12月 大坂の新世界新聞社に入社。 社会部記者として5ヶ月ほど勤めたのち、退社
1946年 昭和21年 新日本新聞社(京都本社)に入社、京都大学記者クラブに配属される 23
1948年 昭和23年 2月 新日本新聞社倒産のため失職 25
5月 産経新聞社(京都支局)に入社、大学・宗教関係を担当
1952年 昭和27年 7月 産業経済新聞社大阪本社の地方部に転勤 29
1956年 昭和31年 5月 司馬遼太郎の筆名で、「ペルシャの幻術師」を執筆し、講談社の懸賞小説の募集に応募
第8回講談倶楽部賞を受賞
33
1959年 昭和34年 1月 産経新聞文化部記者、松見みどりと結婚 36
12月 八尾市の両親宅から大坂市西区西長堀南のマンモス・アパートに転居
1960年 昭和35年 1月21日 『梟の城』で第42回直木賞を受賞。 文化部長に就任 37
1964年 昭和39年 3月 大阪府布施市(現在の東大坂市)中小坂に転居 41
1966年 昭和41年 10月 『竜馬がゆく』、『国盗り物語』で第14回菊池寛賞を受賞 43
1967年 昭和42年 11月 『殉死』(文藝春秋) 44
1968年 昭和43年 4月22日 「坂の上の雲」(「産経新聞」夕刊) ~1972年8月4日まで 45
1969年 昭和44年 4月 『坂の上の雲 第一巻』(文藝春秋) 46
11月 『坂の上の雲 第二巻』(文藝春秋)
1970年 昭和45年 6月 『坂の上の雲 第三巻』(文藝春秋) 47
1971年 昭和46年 3月 『坂の上の雲 第四巻』(文藝春秋) 48
1972年 昭和47年 6月 『坂の上の雲 第五巻』(文藝春秋) 49
9月 『坂の上の雲 第六巻』(文藝春秋)
1975年 昭和50年 12月 『翔ぶが如く 第一巻』(文藝春秋) 52
1976年 昭和51年 2月 『翔ぶが如く 第二巻』(文藝春秋) 53
3月 『翔ぶが如く 第三巻』(文藝春秋)
4月 『翔ぶが如く 第四巻』(文藝春秋)
8月 『翔ぶが如く 第五巻』(文藝春秋)
9月 『翔ぶが如く 第六巻』(文藝春秋)
11月 『翔ぶが如く 第七巻』(文藝春秋)
1981年 昭和56年 12月15日 日本芸術院会員に選出される 58
1986年 昭和61年 3月 第37回NHK放送文化賞を受賞 63
1988年 昭和63年 7月 『坂の上の雲』をはじめとして、明治という時代がどういう時代であったかを明らかにした作家として、
第14回明治村賞を受賞
65
1989年 平成元年 9月 『「明治」という国家』(日本放送出版協会) 66
1991年 平成3年 11月 文化功労者として顕彰される 68
1993年 平成5年 11月 文化勲章を授与 70
1996年 平成8年 2月10日 午前0時45分ごろ、東大坂市下小阪の自宅で吐血
2月11日 救急車で搬入された国立大阪病院で緊急手術を受ける
2月12日 午後8時15分、腹部大動脈瘤破裂のため死去
2月13日 正午から自宅にて密葬告別式を挙行、法名「遼望院釈浄定」
3月10日 大阪ロイヤルホテルで、「司馬遼太郎さんを送る会」を開催、3,300名が参集
1998年 平成10年 8月2日 浄土真宗本願寺派大谷本廟・南谷(京都市東山区五条橋東)に墓碑完成、納骨法要が営まれる
2001年 平成13年 11月1日 司馬遼太郎記念館開館(東大阪市下小阪)
2007年 平成19年 4月28日 「坂の上の雲」ミュージアムが開館(松山市一番町)