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日露戦争 Archive

日露戦争中、日本の機雷で沈没のロシア戦艦捜索へ

日露戦争中の1904年、日本軍が敷設した機雷によって中国・旅順沖で沈没したとされるロシア海軍太平洋艦隊の戦艦「ペトロパブロフスク」などを捜索するため、ロシア軍と関連がある海洋調査機関が6月後半、極東ウラジオストクから、中国・大連付近に向けてエンジン付き帆船を派遣する準備を進めている。同機関が2日までに明らかにした。

ロシア軍は当時、ペトロパブロフスクの沈没などにより、名将マカロフ太平洋艦隊司令官をはじめ、約700人が犠牲になったといわれる。

帆船には潜水士や水中音響学の専門家らが乗り組み、精密機器を使って海底の戦艦などを捜索するという。(共同)

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日露戦争の作戦地図が保存

日露戦争末期の1905年3月、中国東北部の奉天(現瀋陽)で繰り広げられた激戦「奉天会戦」のさなか、海田町出身の軍曹が古里に書き送った作戦地図や戦況を伝える手紙が、おいにあたる廿日市市の名柄威さん(75)方に保存されていることが分かった。

近く表装し、公開も検討する。

書いたのは、奉天会戦から半年後、27歳で中国で病死した名柄真一さん。威さんの父の兄で、当時、第5師団の「騎兵軍曹」だった。

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100年前の日本に滞在 ゴードン・スミスの日記、解読進む

英国の博物学者リチャード・ゴードン・スミス(1858~1918)が明治から大正にかけて日本滞在中に書いた膨大な日記の解読に、伊井春樹・国文学研究資料館館長が取り組んでいる。当時の世相や風俗、慣習などを「何でも見てやろう」の精神で生き生きととらえた貴重な資料だ。最初の成果として、スミスが見た日露戦争を主題にした本がこの夏、角川書店から刊行される。
日露戦争の海戦に関する記述(日記から)

スミスは1898年に来日し、主に神戸で暮らした。少なくとも1915年まで日本におり、その後帰国したらしい。この間、英国で『日本の昔話と伝説』を著した。80年代初めに遺族が、この本のもととなる昔話収集帳5冊と日記8冊を発見。日記から日本の記述を一部抜粋して刊行した。その抄訳が93年の『ゴードン・スミスのニッポン仰天日記』(小学館)だ。

遺族がその後売却した日記と昔話収集帳は現在、大阪青山短期大(大阪府箕面市・塩川利員学長)が所蔵しており、伊井さんが日記を読み続けている。全2221ページで、第2巻の途中から日本の記述になる。

「日記というより博物帳に近い。スミス撮影の写真や絵師による挿絵から、おみくじ・ヘビの抜け殻・昆虫・海藻に至るまで様々な物が張り付けられ、見聞したことが詳細に記録されている。読んでいると当時の日本の姿が生々しく立ち現れてくる」と伊井さん。

スミスは大英博物館の標本採集員として魚類を採っては母国に送った。民間伝承にも関心が深く、漁師らから主に怪異談を聞いて記録した。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の『怪談』は、主に古典に依拠した文学作品だが、スミスは聞き書きに徹した。昔話収集帳に記された198話のうち本に収録されていたのは57話だけだ。

伊井さんによると、東洋趣味が強かったスミスの関心は次第に物から日本人の精神生活へと移る。昔話と共にそれを象徴するのが日露戦争に関する記述だ。

日本と同盟を結ぶ英国民として何ができるのかと悩み、戦死した兵隊の妻子らを支援する活動に取り組んだ。そんな人道主義者としての一面もある。

心情的には日本に加担しながら、熱狂的な戦争論者には危機感を抱いた。日本人が戦争のため一致団結して敵に向かう力には驚くべきものがあるが、それは同時に日本人の弱点でもある、と指摘する。

明治天皇に対しては尊崇の念もあつく、大喪の時は「真実、多くの日本人以上に私は悲しみの情にあふれている」と記し、その死と乃木大将の殉死を一時代の終わりととらえた。

伊井さんは「豪快そうに見えても、日本人の心の細部を読みとろうとした繊細な感覚の持ち主だった。100年も前の英文は読みづらいが、日記の全容が明らかになれば明治・大正期の風俗・文化の研究にとってかけがえのない資料になるだろう」と話している。

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日露戦争伝える3地方紙発見 長野の材木店土蔵から

長野市若穂綿内の材木会社社長滝沢勝雄さん(66)方の土蔵から、1904(明治37)年の信濃毎日新聞など地方紙3紙が見つかった。いずれも日露戦争を伝える紙面で、当時の戦況などの報道ぶりがよく分かる。出征した親族の訃報(ふほう)を伝えていたために残された可能性が高い。保存状態が良く、滝沢さんが信濃毎日新聞社に寄贈した。

ほかに見つかったのは、長野市で当時発行されていた日刊の長野新聞、長野日日新聞と、全国紙の電報新聞など。いずれも日露戦争まっただ中の04年6月前後の日付で、号外なども含まれていた。土蔵内の荷物を整理していると、木の長持ちに束になって入っていたという。

同年6月8日付信濃毎日新聞は、滝沢さんの祖先の滝沢幸重さんが遼東半島・金州での戦闘で「前頭部に貫通銃創を被り戦死せり」と報道。6月11日付の長野新聞と長野日日新聞は、幸重さんの似顔絵とともに、戦死した状況や生い立ちなどを細かく伝えている。

 勝雄さんと幸重さんの続き柄は、はっきり分からないという。複数の新聞が保存されていたことから、勝雄さんは「親族たちがそれぞれの紙面を読み、戦況を案じていたのだろう」と推測する。

「各紙が地元からの出征者の戦死を丁寧に報じていたことが分かる」と勝雄さん。長持ちには、幸重さんが「父上様」と戦地から寄せた手紙なども入っており、「死を悼んで大切に保管したのだろう」と祖先の心情を思いやった。

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京都「無鄰庵」本格修復へ…明治の元勲・山県の別宅

明治維新の元勲・山県有朋(1838~1922)の別宅で、日露戦争前年に外交方針を決めた会議が行われたことで知られる京都市左京区の「無鄰庵(むりんあん)」について、同市は、老朽化した母屋の屋根や、庭園の本格的な修復に乗り出すことを決めた。市は「京都には神社仏閣だけではなく、近代史の舞台もあることを知ってもらい、新たな魅力として発信したい」としている。

無鄰庵は同市動物園の南側にあり、1896年(明治29年)に造られた。木造2階建ての母屋や茶室、れんが造り2階建ての洋館がある。東山を借景に、滝や池を配置した庭3135平方メートルは、平安神宮や円山公園などの庭園を手がけた造園家・七代目小川治兵衛(じへえ)の作。

1903年にはここで、山県、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎による「無鄰庵会議」が開かれ、朝鮮半島や満州(現中国東北部)を巡る対露外交方針が決められたとされる。

41年に寄贈を受けた市が管理しているが、母屋が雨漏りしたり、庭園の樹木が枯れたり、老朽化が激しい。一方、見学者は年間約4万人と増加傾向にあることから、市は新たな観光名所にと、修復を決定。今年は屋根を一部取り換えるとともに、建物の老朽度を調べて長期的な修繕計画を作成する。造園当初の庭園を復元するために、整備計画をまとめることにしている。

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戦争資料館:名古屋名東区にほぼ完成、5月オープン

NPO法人「平和のための戦争メモリアルセンター設立準備会」(理事長・森島昭雄名古屋大名誉教授)が名古屋市名東区に建設を進めている「戦争と平和の資料館ピースあいち」の建物がほぼ完成した。今月末に同準備会に引き渡しが行われ、5月にオープンする。準備会副理事長の野間美喜子弁護士は「戦争は国民が記憶すべき20世紀の負の遺産。その語り部としての資料館にしたい」と話している。

93年に愛知県と名古屋市に資料館建設を求める運動が起きたが財政難などで計画は進まず、03年に同準備会はNPO法人になり、市民の寄付による建設を決めた。05年5月に愛知県愛西市の女性から用地約300平方メートルと建設資金1億円の寄付の申し出を受け、06年7月に着工した。総合的な戦争資料館は愛知県初となる。

建物はガラスと金属パネルを生かしたモダンな外観で、鉄筋3階建て延べ514平方メートル。戦争資料の展示をはじめ、平和活動に使う部屋や映像コーナーなど多面的に戦争と平和を考えるスペースを設ける。戦争体験者の話を聞いたり、戦時中の暮らしを体験したりするプログラムも企画。防空ずきんや鉄かぶとといった資料の学校などへの貸し出しもする。

これまで準備会には開設資金2500万円のほか、焼夷(しょうい)弾の破片や召集令状、戦地からの手紙など多彩な資料約3400点が市民から寄せられた。軍人の絵が描かれた「軍国アメ」の箱や日露戦争時の連合艦隊司令長官、東郷平八郎が描かれた鉛筆など、暮らしの中に戦争が入り込んだ時代を反映する資料もあり、オープンに向けてスタッフが資料整理や説明パネル作りに追われている。

野間弁護士は「資料や資金など多くの人たちに支えられてここまで来た。軍需産業の中心として大きな戦災を受けた愛知で平和のために考え行動するきっかけにしたい」と話している。

同準備会はオープンを前に運営ボランティアを募集しており、20日午後1時半から名古屋市中区の愛知県東大手庁舎内「あいちNPO交流プラザ」で説明会を行う。問い合わせは同準備会事務局(052・962・0136)。

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弘前で日露戦争と八師団パネル展

弘前市西茂森町の禅林街広場にある、戦没者の供養塔「忠霊塔」で八日、日露戦争と同市の旧第八師団をテーマにしたパネル展が始まった。二〇〇三年に市が修復し、一般に初めて内部が公開される忠霊塔には、同戦争の軌跡を詳細に紹介するパネル十八点や文献、写真が展示され、市内外に在住する戦争体験者たちが訪れている。

パネル展は、市内の曹洞宗や真言宗など各仏教団体で組織する宗教法人・仏舎利塔が開いた。

白色を基調とする壁に修復された塔内では、八師団が参戦した日露戦争の黒溝台の戦いや、日露講和条約を締結したポーツマス講和会議の概要のほか、同戦争の日本海海戦の際、全艦出撃の打電に「本日天気晴朗ナレトモ浪高シ」と状況を加えた逸話も紹介している。

パネル展は二十六日まで。入場料は一人二百円となっている。

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徴兵システム 明治19年、熊本鎮台の資料見つかる

熊本城内に司令部が置かれた熊本鎮台が、百二十年前の明治十九(一八八六)年に九州一円から兵隊を集めた様子を伝える珍しい資料が見つかった。

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ロシア人捕虜の冥福祈る 福知山 初の慰霊祭に領事ら参列

日露戦争のロシア人捕虜の墓がある京都府福知山市南本堀の平和墓地で4日、慰霊祭が初めて営まれた。ロシア領事が参列し、1世紀あまり異国の地に眠るロシア人捕虜を悼み、墓地を守ってきた地元の人々に感謝を伝えた。

今年は日ロ国交回復50周年にあたり、日本ユーラシア協会京都府連合会が催した。ロシア人墓地は全国に17カ所あるといわれる。

日露戦争では同市内に約1100人の捕虜が連れて来られ、うち5人が死んだとされ、1基の墓だけが残っている。葬られているのはニコライ・パラウーソフさんで、1904年12月15日に亡くなった。地元住民が、墓の周囲を清掃するなど1世紀にわたって管理してきた。

この日、在大阪ロシア連邦総領事館代表のアレクサンダー・ノスコフ領事や同府連の長砂実会長、高日音彦市長、市民ら約70人が参列。京都ハリストス正教会が祈とうし、同府連のメンバーが歌うロシアのメロディーが流れる中、参列者が次々と献花した。

ノスコフ領事は、地元の人々に謝辞を述べ、「歴史はきれいに書き直せないが、歴史から勉強することはできる。100年前に亡くなった人に尊敬の念をもつことが大事です」と、平和への誓いをささげた。

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高石市でロシア人捕虜収容所展

 日露戦争(明治37~38年)当時、日本軍の捕虜となったロシア人の捕虜収容所があった高石市の市役所で、捕虜収容所に関する資料などを集めた「浜寺ロシア収容所展」が開かれている。11月2日まで。

 浜寺ロシア収容所展は市教委が主催。当時、収容所長だった隈部潜・元陸軍少将の孫から市が譲り受けた写真のほか、収容所の表札や職員録、収容所兵舎の模型など約30点を展示している。

 国内最大規模だったロシア人の捕虜収容所は、現在の高石市高師浜あたりの約13万坪の広大な敷地に設けられ、ロシア人捕虜約2万8000人が収容されていた。当時の資料によると、この収容所は拘束は緩く、捕虜は自由に所内を歩き回ることができた。また、遠足や音楽会、運動会などの娯楽もあり、周辺住民と交流もしていたという。

 捕虜の1人のヨセフ・トルンペルドールというユダヤ系ロシア人は、所内で新聞発行を許されていた。この人物は「大国ロシアを負かした日本とはどんな国なのか」と興味を持ち、数カ月で日本語を習得。日本の軍政や国民の識字率の高さに驚き、「敵国捕虜を手厚く待遇する」武士道精神に感銘を受けたという。

 見学無料。午前10時~午後4時。土、日曜日は休み。11月6日から22日までは、同市高師浜丁の市立図書館郷土資料室に場所を移して、同じ内容の展示を行う。問い合わせは、市教委生涯学習課((電)072・265・1001)へ。

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米、ネットサービス進化 グーグル、200年分の記事検索開始

 インターネット検索エンジン最大手の米グーグルは6日、歴史的な出来事について過去200年以上の欧米紙の記事を検索できるサービスを英語版ウェブ上で開始した。自分が知りたい事件を当時の記事がどう伝えたかを閲覧できる。
 グーグルニュース(http://news.google.com)にアクセスして「ニュース・アーカイブサーチ」をクリック。例えば「Russo-Japanese War(日露戦争)」で検索すると、米紙ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズなど計1万6300件の関連記事があると表示される。時期や人物(例・東郷平八郎)で絞り込めば、例えば開戦(1904年2月)から日本海海戦の勝利を経てポーツマス条約で講和(05年9月)するまで、当時のメディアが詳細に戦況を伝えていたことが分かる。
 全文閲覧の場合、ニューヨーク・タイムズなら1本4・95ドル(約580円)で記事を購入することになる。
 従来のニュース検索は過去30日分の最新ニュースの表示だった。今後は歴史的資料の発見に利用が広がる。英紙ガーディアン、米経済紙ウォールストリート・ジャーナルなども記事を提供する。
 グーグルは「われわれの目標はより多くの世界中のコンテンツをサービスに取り込むこと」と語り、今後は他の言語にも広げていく計画だ。
 グーグルニュースをめぐっては、当初メディア業界が「無断掲載で著作権侵害にあたる」と反発したが、次第に「コンテンツ保有者に新たな収入源を提供できる」(ロイター通信)との認識も広がってきている。

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<日露戦争>満州軍の諜報活動伝える大量の機密文書発見

 日露戦争で日本が旧満州に派遣した満州軍の諜報活動の詳細を伝える機密文書が見つかった。満州軍が1904年6月23日から1905年6月30日に発信した約700通の極秘電文の元原稿をつづったもので、日露両国のスパイが暗躍する様子などが生々しく描かれている。概要は9月中旬発行の「軍事史学」に掲載される。

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旅順、中国が全面開放 日露戦争激戦の地

日露戦争の激戦地として有名な二百三高地がある中国遼寧省の大連市旅順口区が、外資系企業の進出と投資を促すため、近く全面開放されることが19日、明らかになった。同区には中国海軍の施設が点在しており、大半の地域は外国人の立ち入りを厳しく制限していた。

大連市の旅順口区政府幹部は、本紙の取材に「間もなく国から対外開放の許可が出る見通しで、準備を進めている」と語った。同政府は日系企業などの進出を促すため、6月12日に北京で「投資環境説明会」を開く予定。このため、6月中にも正式に開放される可能性がある。

旅順には日露戦争(1904-05年)の遺跡が多く残され、二百三高地のほか、乃木希典大将と帝政ロシアのステッセル中将が会見した「水師営会見所」などがある。

これら観光地の一部は既に開放されていたが、黄海に面した海軍施設がある地域への立ち入りは禁止され、外資誘致の妨げとなっていた。

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日露の戦況伝える本紙号外を発見

 鯵ケ沢町舞戸町の町教育長番場幸浩さん(64)の自宅から日露戦争の戦況を伝える明治三十七(一九〇四)年の東奥日報号外が計十一点見つかった。一世紀前の号外がまとまって見つかるのは珍しい。町教委は五月一日から今期の営業を始める同町種里町の「光信公の館」で展示する予定だ。

 番場さんの家は代々、こうじ屋を営んできた。番場さんによると、明治時代に建築した自宅家屋は五十数年前、近所の火事が燃え移り、蔵を含め約三分の二を焼いたが、家の正面側は延焼を免れた。だが焼け残った部分も老朽化が著しく、五月の連休明けに取り壊すことになり、置いてあった茶たんすや小物入れの中を整理していたところ、号外など古い資料が見つかった。

 号外は五月六日から十一月六日にわたって発行された分。「露艦の爆沈」「未曾有の激戦」などの見出しとともに、刻々と変わる戦況、戦死者・負傷者などを伝えている。このうち七月十九日分は午前と午後の二回発行されており、戦場での激しい交戦の様子を伝えている。

 「茶たんすの中に古い物があることは三、四年前から知ってはいたが、こんなにも号外が見つかるとは」と番場さんも驚きを隠さない。曽祖父の繁一さんが保管していたとみられ、番場さんは百二年前の当時に思いをはせている。

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『日露戦忠魂碑小さい』 乃木大将書簡で大目玉

 日露戦争の英雄とされた乃木希典陸軍大将の書簡が、岐阜県瑞浪市の陶(すえ)公民館に保存されていることが分かった。旧陶村が建てようとした戦没者を悼む忠魂碑が戦勝記念碑と比べて小さかったことから、「戦没者を軽んじている」と村職員を一喝する内容で、旅順攻略で多くの部下を戦死させた乃木大将の心中をうかがわせる。

 ■岐阜で発見

 書簡は、和紙に毛筆でカタカナ交じりの漢字で十七行書かれている。

 記念碑建立のいきさつが掲載されている「陶町史」によると、一九一一(明治四十四)年、日露戦争の戦勝記念碑の建立を計画した陶村は、当時の国民的英雄だった乃木大将に揮毫(きごう)を依頼した。高さ四メートル弱の「紀念碑」と、一回り小さい「忠魂碑」の二基を予定していた。

 乃木大将は記念碑よりも忠魂碑が小さいことに憤慨。「役ニ死タル忠勇者ヲ忘レザルハ第一ニテ、二様ニ建立スルコト甚ダヨロシカラズ」と怒りの言葉を連ねた。

 結局、記念碑分の揮毫しか受けず、村は、忠魂碑の建立を見送った。書簡は、ごみ箱に捨てられたが、当時の教育長が拾って装丁し金庫に保管していたという。

 これまで一般に公開されたことはなく、河野瞭公民館長(61)は「乃木大将に大目玉を食らったことが恥ずかしく、とても公にできなかったのでは」と話している。

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ロシア人将校を聖歌で慰霊 名古屋・千種の平和公園

日露戦争の捕虜となり、名古屋で亡くなったロシア人将校15人の慰霊祭が2日、名古屋市千種区の平和公園内にあるロシア人墓地であった。 (長田 弘己)
日本ユーラシア協会愛知県連合会(日ユ協会)の主催。日本とロシアの国交回復五十年を記念したイベント「ロシア文化フェスティバル2006 IN JAPAN」の関連行事。
在大阪ロシア領事館のオレグ・リャボフ総領事や同連合会の会員ら約七十人が出席した。
日ユ協会の安原勝彦理事長(61)は「国際交流を深め、世界が平和となることを祈りましょう」とあいさつ。ロシア正教の名古屋ハリストス正教会(昭和区)の聖歌隊がアコーディオンの伴奏に合わせ厳かに聖歌を歌い上げたほか、会員らが献花し、死者の霊を慰めた。
ロシア人墓地は一九九一(平成三)年、日ユ協会の会員が平和公園の旧陸軍墓地の一角に発見。同協会や同正教会が墓の修繕を進め、毎年四月に慰霊祭を営んできた。同連合会によるとロシア人墓地は全国で二十九あり、今年は名古屋を皮切りに全国で慰霊祭が執り行われる。

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ロシア兵漂着の隠岐・西の島、史実を縁に交流計画

島根県隠岐島前・西ノ島町の民間有志による町づくりグループ「ひめぼたるの会」(佐倉真喜子代表)は、日露戦争の日本海海戦(一九〇五年)で戦死して漂着したロシア兵を同町の祖先が手厚く埋葬した歴史を縁に、ロシア人十五人を今夏、同町に招き入れる計画をしている。事前にロシアへの理解を深めようとこのほど町民講座を開き、ロシアとの民間交流実現へ機運を盛り上げた。

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ロシア8記者が捕虜墓地訪問松山

外務省が招へいしたロシアの報道各社の若手記者8人が25日、日露戦争時のロシア兵捕虜を埋葬している松山市御幸1丁目のロシア人墓地を取材に訪れた。 ...

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ロシア兵捕虜題材に授業伊予市

思いやりの気持ちを養ってもらおうと、日露戦争時のロシア兵捕虜と県民の交流を題材にした道徳の授業が27日、伊予市上吾川の郡中小学校(春田勝利校長、994人)であり、6年4 ...

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日露戦争の凱旋門建立100周年で記念式典 御船町の住民ら

日露戦争を記念して建てられた、上益城郡御船町上野の凱旋(がいせん)門の建立百周年式典が九日、現地であり、地元住民らが戦いに赴いた先人の労苦に思いをはせた。 ...

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100年ぶりに供養祭天城山で巨猪と死闘 明治の名犬「隼」

... 翌年12月に、日露戦争祝勝記念として催された大巻狩りで、隼は主賓として参加した樺山資紀海軍大将と黒木為テイ陸軍大将に襲いかかろうとした手負いの巨猪(おおじし ...

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高平小五郎の業績を伝える講演会

日露戦争終結100周年を記念し、講和条約締結に尽力した一関市出身の外交官高平小五郎(1854-1926年)の業績を伝える記念講演会は10日午後1時半から一関市大手町の一関文化センター中ホールで開かれる。
一関市教委主催。盛岡市出身の明治外交史研究家の平野恵一さんが「外交官高平小五郎とその業績」と題して講演する。
高平は1905(明治38)年、日露戦争を終結させるため、在米特命全権公使として米国ポーツマス市での講和会議に臨み、講和条約締結に導いた。

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旧ロシア兵捕虜収容所裏付ける写真発見 姫路・妙行寺

姫路市教委は二十八日、同市坂田町の妙行(みようぎよう)寺が、日露戦争(一九〇四―〇五)の際、旧ロシア兵捕虜収容所だったことを裏付ける写真が見つかったと発表した。今年は日露戦争が終結したポーツマス条約調印から丸百年。市教委は「姫路での捕虜収容の様子を今に伝えるとともに、今後の日ロ友好を考える上で貴重な資料」としている。

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小説『田舎教師』モデルの小林氏直筆はがき見つかる

今回発見されたのは、小林氏が当時の弥勒高等小学校(現・羽生市立三田ケ谷小学校)の教諭をしていた一九〇三年から死去した〇四年までに書かれたとみられる五通。「田舎教師」の中で「林」の友人として出てくる「北川」のモデルとされる北村量氏(七七年死去)に、小林氏があてたもの。入院していた北村氏の体調を気遣い、全快を祝う内容で、当時の日露戦争についても触れている。

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大幸薬品、ひょうたんマーク「正露丸」販売の和泉薬品を提訴

ラッパのマークの「正露丸」を製造・販売する大幸薬品(株)は11月24日、不正競争防止法および商標法に基づき、和泉薬品工業(株)に対して「止瀉薬 イヅミ正露丸」の製造販売の差止と約6400万円の損害賠償を求め、大阪地裁に提訴したと発表した。
和泉薬品の「止瀉薬 イヅミ正露丸」は外箱がオレンジ色で、大きさ、デザインが大幸薬品の製品に似ており、ラッパのマークの位置にひょうたんのマークがある。
大幸薬品は、顧客が、同社の「正露丸」と成分・分量の異なる医薬品を誤認混同し購入・服用するおそれを防止するため提訴したとしており、誤認混同した顧客から、同社のお客様相談係への相談もあり、医薬品メーカーとして看過できないものと判断したとしている。
「正露丸」は、日露戦争時に兵士用の薬として作られた「征露丸」が、戦後、文字を変更し「正露丸」となったもの。大幸薬品は1954年、「正露丸」の丸薬を指定商品とする商標登録を認められたが、これを不服とする和泉薬品などが商標登録取り消し求め、最高裁まで争われた結果、一般名称と認められ、75年に登録無効となった。

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小村元外相の愛用品?シルクハットと象牙ステッキ

1905年9月5日、日露戦争講和のポーツマス条約に調印したことで知られる小村寿太郎の遺品と思われるシルクハットと象牙のステッキが、沖縄経由で宮崎県の日南市国際交流センター ...

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「石油の里」受け継ぐ授業 金津小学校

新潟市(旧新津市)金津は、明治後期から大正時代にかけ、「石油王」と呼ばれた中野貫一(1846~1928)の郷里。1903年、金津に初めて大規模な油田を掘り当てた。その後も、秋田県や北樺太(サハリン)で石油開発を進め、巨万の冨を築いた。
金津の石油関連施設は96年3月を最後に、稼働を休止した。現在は石油の採掘・精製の歴史を伝える「石油文化遺産施設」となっている。
地元の金津小学校は、「石油の里」の文化や歴史を受け継ごうと様々な授業を行っている。歴史の授業で、日清、日露戦争で石油需要が増大したことや、金津の石油産業の歩みを。道徳の授業では、中野が何度も商売に失敗しながらも、あきらめなかったことや、石油事業だけではなく、農地の開墾や教育への還元などを通して地元に貢献、終生金津を愛し、離れなかったことを学ぶ。

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大山巌別荘跡、石垣整備市案に異論 沼津

沼津市が牛臥山周辺で進める我入道公園整備事業で、明治の元老、大山巌別荘跡に残された石垣(防潮堤)の整備方法をめぐり、市計画案に異論が出ている。石垣の一部を残して盛り土で埋める市案に対し、一部市民が指摘するのは歴史的遺構としての現状保存。市は本年度中の整備を見合わせ、安全性や費用のほかに歴史文化も含めて総合的に検討する姿勢を示している。

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日露戦争兵士、故郷への手紙 筑西で展示会

日露戦争の従軍兵士が戦地から故郷に送った手紙やはがきを中心とした「日露戦争百年―兵士からの礼状」展が12日から筑西市である。いずれも市内に残る日露戦争関係の貴重な資料と ...

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秋の治療で「若返って」/新庄・がいせん桜

県内最北の桜の名所、新庄村の「がいせん桜」が治療を受けている。殺菌剤や栄養剤を塗ってもらい、樹齢100年の古木もある桜並木は「若返っているようです」と担当作業員。

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【書評】『捕虜たちの日露戦争』吹浦忠正著

日露戦争で捕虜になったロシア兵は「マツヤマさーん」と叫んで投降したとか。松山にあった捕虜収容所の待遇はそれほど人道的で有名だった。道後温泉につかったり、運動会に興じたり ...

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小村寿太郎 業績しのぶ

  • 朝日新聞 - 2005年11月1日
  • 2005年11月 1日 13:17
  • 日露戦争

明治時代に活躍した日南市出身の外交官、小村寿太郎(1855~1911)の業績をしのぶ特別展が1日、同市飫肥4丁目の市国際交流センター小村記念館で始まった。 ...

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日露戦争から100周年

日露戦争から100周年になるのを記念して、日本海海戦で対決した両国海軍の司令長官の子孫が5日、佐世保市で初めて対面する。地元の有志が「日露海戦を偲(しの)ぶ友好親善の集い ...

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「北関大捷碑の複製碑設置か韓国で保存すべき」

  • 朝鮮日報 - South Korea
  • 2005年10月31日 07:35
  • 日露戦争

... 義兵長の鄭文孚将軍が咸鏡(ハムギョン)北道で日本軍を破った功績を記念し、静宗(朝鮮の19代王)34年(1708年)、咸鏡北道の吉州(キルジュ)に建立された。1905年日露戦争の当時 ...

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君津で『戦時下の記憶』展戦中の生活知り 『平和の世を思う』

戦争の悲惨さと平和のの尊さを伝えようと、君津市久留里の久留里城址(じょうし)資料館で企画展「戦時下の記憶」が開かれている。市民から寄せられた戦争関連の品々を一堂に集め、戦争の真っただ中を生き抜いた人たちの生活を振り返る。十二月四日まで。戦後六十年の節目に合わせて企画された。約四十人の市民から寄せられた資料は、日露戦争から太平洋戦争までの約二百五十点 ...

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韓国大統領、日本から返還の記念碑を観覧

韓国の盧武鉉大統領は28日、夫人とともに、首都ソウルで開かれた国立博物館の開館式で、100年振りに日本から朝鮮半島に返還された記念碑「北関大捷碑」を観覧した ...

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「日露戦争の是非」で討論宇治市立宇治中学校

日露戦争、キミは主戦派それとも非戦派?――宇治市立宇治中学校=宇治矢落、西野正博校長、547人=で27日、社会科教育の研究発表会があり、生徒の興味関心を育む授業改善の取り組みの一端を公開授業で紹介 ...

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肉じゃが発祥をめぐる旧海軍港・仁義なき戦い!?

そもそも肉じゃがは、「海軍の父」と呼ばれ日露戦争でロシアのバルチック艦隊を撃沈した、あの東郷平八郎が考案したというのは有名な話。その東郷が旧海軍の港がある呉に、参謀役として赴任していたことから、肉じゃが発祥の地というのが呉発祥説。しかし、京都の舞鶴市にも鎮守府長官として赴任していたこともあり、こちらも「肉じゃが発祥」を宣言。呉と舞鶴という、旧海軍港間で“発祥の地”をめぐる論争が巻き起こってしまった ...

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勲章の特別展開催矢板の山縣有朋記念館

ちょうど百年前の十月に講和条約が結ばれた日露戦争を記念し、矢板市上伊佐野の「山縣有朋記念館」は、同戦で参謀総長を務めた明治の元勲・山縣有朋が内外から授かった勲章十数点を展示する記念特別展を開いている ...

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原敬の書簡公開「後藤新平を満鉄総裁に」

... 後藤が、佐久間の後任として次期台湾総督となる約束が、2人の間にあったとされる。しかし、日露戦争後、満鉄に対する軍部の影響が強まるのを懸念した原が、行政官の後藤を推した ...

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ポーツマス講和条約100年、米郷土史家が都内で講演

日露戦争を終結させたポーツマス講和条約の調印百周年を記念して、米国ポーツマス在住の郷土史家ピーター・ランドル氏(64)が25日、都内で講演した。 ...

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小村寿太郎側近の遺品を寄贈

明治時代に活躍した日南市出身の外交官、小村寿太郎の側近だった人の遺品が、同市飫肥4丁目の国際交流センター・小村記念館に寄贈された。11月3日から約1カ月 ...

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北関大捷碑が韓国入り…「100年ぶりの帰還」

... 100年ぶりの帰還」と報じた。 同碑は日露戦争時に日本側将兵が持ち帰ったとされ、同神社と日韓両政府が韓国に返還することで合意した。 この日は ...

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◎北関大捷碑、韓国へ

豊臣秀吉が朝鮮半島に送った兵を現地の義兵が破ったことを記念して現在の北朝鮮の咸鏡北道吉州付近に立てられ、日露戦争中の1905年に日本に持ち込まれたとされる石碑「北関大捷碑 ...

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北関大捷碑、韓国へ 靖国神社、数日中に移送

豊臣秀吉が朝鮮半島に送った兵を現地の義兵が破ったことを記念して現在の北朝鮮の咸鏡北道吉州付近に立てられ、日露戦争中の1905年に日本に持ち込まれたとされる石碑「北関大捷碑 ...

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北関大捷碑、韓国へ/靖国神社、数日中に移送

豊臣秀吉が朝鮮半島に送った兵を現地の義兵が破ったことを記念して現在の北朝鮮の咸鏡北道吉州付近に立てられ、日露戦争中の1905年に日本に持ち込まれたとされる石碑「北関大捷碑 ...

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北関大捷碑、韓国へ 靖国神社、数日中に移送

豊臣秀吉が朝鮮半島に送った兵を現地の義兵が破ったことを記念して現在の北朝鮮の咸鏡北道吉州付近に立てられ、日露戦争中の1905年に日本に持ち込まれたとされる石碑「北関大捷碑 ...

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日露戦争の講和条約100年、ポーツマスで記念式典

日露戦争を終結させたポーツマス講和条約の調印から100年を祝う記念式典が5日午後(日本時間6日未明)、米メーン州のポーツマス海軍造船所で行われた。...

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日露戦争講和条約の舞台、「存続」を米大統領に提案

米国防総省の米軍基地再編・閉鎖(BRAC)案の是非を検討しているBRAC委員会は24日、日露戦争の講和条約(1905年 ...

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百周年控え祝賀ムード日露条約調印のポーツマス

日露戦争を終結させた1905年のポーツマス条約調印の舞台となった米北東部ニューハンプシャー州ポーツマスで、調印100周年の9月5日に記念の鐘を ...

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「桃太郎」時代を映す

... 明治時代、富国強兵のスローガンのもとでは、桃太郎は「国の男児のあるべき姿」として描かれる。日露戦争時に登場した「征露再生桃太郎」では、その「正当性 ...

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「戦死してはいけない展」開幕又吉教授が史料収集

又吉盛清沖縄大学教授が2004年から05年5月にかけ、日露戦争下の戦場などをめぐり撮影した戦跡の写真や資料などから作成した、同戦争での沖縄人兵士の戦場と戦死状況の地図、同戦争に関する文献などを集めた ...

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江津で日露戦イ号助100周年式典

日露戦争で旧日本海軍の砲撃を受けた旧ロシア軍イルティッシュ号の乗組員235人を、江津市和木町住民が助けた史実を伝える100周年記念事業が29日、江津市江津町の市総合市民センターであり、延べ1000人以上の市民が先人の人類愛をしのび、世界の恒久平和を誓った...

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日露戦争:日本海海戦100周年で追悼式 長崎・対馬沖

日露戦争(1904~05年)で旧日本海軍連合艦隊とロシアのバルチック艦隊が戦った日本海海戦から100周年を迎えた28日、かつての戦場に近い長崎県・対馬沖で、洋上追悼式が行われた...

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「世界を揺るがした戦争」東京で日露戦争シンポ

日本海海戦から100年にあたる27日、東京・大手町の経団連ホールで日露戦争100周年記念国際シンポジウム「第0次大戦としての日露戦争」(主催=読売新聞社、中央公論新社、共催=NHK、慶応大東アジア研究所)が開かれた...

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日露戦争の日本海海戦100年ロシアで水兵追憶の式典

日露戦争の日本海海戦から100年たった27日、ロシアでは海軍が「水兵追憶の日」として全艦艇で式典をするなど、各地で催しがあった。だが、海戦史上最大の敗北とあって、受けとめ方は様々だ...

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従軍看護兵の陣中日誌を孫が自費出版先達が伝える日露戦争

日露戦争終結百年に当たる今年、陸軍看護兵として従軍した吹上町の大澤喜三郎さん(一八八〇-一九六六)が戦地で克明に記録した日誌が「日露戦争陣中日誌-看護兵の証言」として自費出版された。地元の郷土史家が手にしたコピーを読み進めるうちに、偶然に遺族と知り合って解読・監修を依頼され、膨大な読み仮名や注釈を付けて現代によみがえらせた...

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100年前の輝き今も 日露戦争接収戦艦のコップ台

今年は日露戦争勝利から100年。指宿市湊の写真館経営馬渡成貴さん(79)は、ロシア旅順艦隊の戦艦「レトウィザン」(12,700トン)の備品とされるスズ製のコップ台を、今も大切に保存している。「父の残した“家宝”。子どもたちに引き継いでいきたい」という...

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ひ孫ら、東郷元帥語る 日露戦争振り返り--横須賀 /神奈川

日本海海戦100周年のイベントが続く記念艦「みかさ」(横須賀市稲岡町)で25日、東郷平八郎元帥のひ孫らと外国研究者が集まり、日露戦争の歴史を振り返った...

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河合太郎通して平和考える

日露戦争時の連合艦隊旗艦「三笠」の乗組員で、呉海軍軍楽隊長を務め、第2次大戦後は呉市や中国地方の音楽文化振興に力を注いだ。こんな道を歩んだ音楽家河合に焦点をあてた特別展「日本海海戦と呉 河合太郎が見た日露戦争」が、呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)で25日から始まる...

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樺太の旧国境標石、旭川の神社に再現

...国境標石は日露戦争後、一九○五年(明治三十八年)の講和条約により、樺太中部の北緯五○度線沿い四カ所に設けられた。高さ約六十センチで将棋の駒の形に近く、日露両国の紋章と文字が両側に刻まれていた...

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徳島市戦没者追悼式

徳島市の戦没者追悼式には遺族らおよそ500人が参列しました。祭壇には日清・日露戦争から第二次世界大戦までに戦地で亡くなった6793人の御霊が奉られ、出席者全員で黙とうを捧げました...

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町民大学が結んだ縁「日露戦争陣中日誌」を発刊

吹上町大芦出身の故大澤喜三郎さんが看護兵として日露戦争従軍中に書きつづった日記を、同町文化財保護委員の加藤勉さん(68)が「日露戦争陣中日誌―看護兵の証言」と題して本にまとめ、このほど発刊した...

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日露戦争国際学術会議始まる

今年終戦100周年を迎える日露戦争について、内外の研究者が討議する国際学術会議(慶応大学東アジア研究所など主催、読売新聞社後援)が23日午前、東京・三田の慶大三田キャンパスで始まった...

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日露戦争100周年国際シンポ日南市で開幕

 「日露戦争・ポーツマス条約締結100周年」を記念した国際シンポジウムが19日、日南市の国際交流センター小村記念館で始まった。条約締結の日本側全権を務めた同市出身の外交官小村寿太郎の功績について、日露戦争研究会の松村正義会長が基調講演し...

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創立60周年記念事業で国際学術会議写真展やシンポなども /山梨

...日露戦争で連合艦隊司令長官だった東郷平八郎とロシアのバルチック艦隊の指揮官だったロジェストベンスキー司令長官のそれぞれのひ孫が対面し、記念植樹をする催しも行われる...

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平和の尊さ知って白山の川口公民館で戦後60年の企画展

展示しているのは、同公民館が呼び掛け、町内外の74人から寄せられた戦中、戦後の資料。出兵時に家族と撮った写真、戦地での様子をつづった日記帳、水筒、革靴、千人針など約250点が並ぶ。日清、日露戦争時の軍服もある...

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日本クラブが創立100周年記念式典

...同クラブが創設された1905年に日露戦争終結を実現させたセオドア・ルーズベルト元米大統領の子孫のセオドア・ルーズベルト4世や、日本クラブ前会長で三井物産顧問の清水愼次郎氏が相次いで挨拶に立ち...

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終戦100年、平和への祈り戦没者追悼の法要--高松の法泉寺

日露戦争(1904~05年)で、県から出征し戦死した2329人を追悼する法要が24日、高松市番町の法泉寺(横田宗忠住職)で開かれる。今年は同戦争終結100年と第二次世界大戦終結60年が重なる区切りの年...

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小村寿太郎の伝記出版へ/ポーツマス条約100年記念

日露戦争の終結を取り決めたポーツマス条約締結から今年で100年となるのを記念し、講和会議の全権大使だった小村寿太郎の出身地宮崎県日南市などが、小村の伝記の出版を決めた...

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石光真清の人柄しのぶ /熊本

日清・日露戦争で諜報員として活躍し、手記「城下の人」でも知られる熊本市出身の軍人、石光真清(1868~1942年)をしのぶ会が命日の15日、同市本山の石光真清記念館であった...

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「日露戦争勝利100年も忘れないで」 麻生総務相

麻生総務相は15日、福岡県飯塚市での講演で「日本は(明治になった)1868年から37年で、帝政ロシアに戦争をやって勝った。来年は戦勝100年。(太平洋戦争の)敗戦60年の話ばかりする不思議な国だが、戦勝100年のことも忘れないで欲しい」と語った...

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日露戦争終結の舞台閉鎖?波紋呼ぶ米軍基地統廃合

米国防総省が13日に発表した米国内の軍事基地閉鎖リストに、日露戦争の講和条約の舞台であるポーツマス海軍造船所が含まれ、日米の関係者の間で波紋を呼んでいる...

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日露戦争百周年記念展-22日から日南

日南市は22日~6月5日、日露戦争百周年記念展「ヨーロッパから観(み)た日露戦争~版画新聞、絵葉書、錦絵~」を同市の飫肥城「松尾の丸」で開く。日露戦争の講和条約交渉に特命全権大使として出席した同市出身の明治の外交官、小村寿太郎を顕彰する関連事業の一つ...

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野田山のロシア人墓地改修へ

...金沢にロシア兵の捕虜が送られてきたのは日露戦争末期の1905年3月頃でした。捕虜の数はおよそ6000人にも上り寺院などに収容されました。講和条約締結後、ほとんどのロシア兵は帰国しましたが、11人が金沢で病死し、そのうち10人が金沢市野田山に葬られました...

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朝鮮半島の石碑を返還へ/政府が靖国神社に働き掛け

...北関大捷碑は、16世紀の豊臣秀吉による朝鮮出兵「文禄の役」で、朝鮮半島の義勇軍が日本軍を撃退したことを記念して、現在の北朝鮮の咸鏡北道・吉州に建立されたが、日露戦争の際に日本軍が持ち帰っていた...

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勝閧橋歴史後世に

...第2次世界大戦で中止となった日本初の国際博覧会東京会場への輸送対策として1940年6月に架けられた。長さ246メートル、幅27メートル。橋の名は、日露戦争を記念して設けられた「勝閧の渡し」にちなんで付けられた...

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松山でロシア兵捕虜収容所跡など巡るツアー

日露戦争で捕らわれたロシア兵捕虜収容所跡をめぐる探訪ツアーが30日、松山市内であった。参加者らは、捕虜と市民が触れ合った様子に触れ、明治時代の国際交流に思いをはせた...

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平民新聞、烏山で発見非常に貴重、原本は県内初

...平民新聞は日露戦争で非戦の論陣を張った新聞として知られ...

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日露戦争伝える絵はがき発見一宮・浅井さんの自宅で

...自宅から日露戦争(1904ー05年)当時の軍事郵便の絵はがきなど200点以上が見つかった...

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「がいせん桜」が満開/新庄

...日露戦争勝利の凱旋(がいせん)記念として1906年に植樹されたことから命名され...

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スイセンと桜が競演 諏訪市上川河川敷

...桜は一九〇九(明治四十二)年、赤沼から日露戦争に出征した人たちが...

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100周年 節目の早慶レガッタ慶大圧勝

...日露戦争のさなか、一九〇五年に始まったレースは...

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小村寿太郎生誕150年日南で記念事業

...05年に日露戦争後の講和条約(ポーツマス条約)を締結...

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日本にまつわる歴史的建造物の復元計画ロシア・サハリン州

...日露戦争後に多数の日本人が移住して建てられた神社や、1853年に南部の湾岸に建造されたロシアの軍事施設などを復元したいとしている。

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春の風物詩100周年 早慶レガッタ記念大会17日開幕

...日露戦争のさなかに始まった同大会は、...

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鴨川堤の「志波む桜」100周年府師範学校の教員、児童らが植樹

植樹は、日露戦争終了を記念して師範学校の教職員、生徒、児童の寄付で明治38(1905)年に行われた...

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百年前のホリエモン

将棋で、位の低い「歩兵」の駒が成って「金将」になる。このルールを「成金」というのだが...「日本は勝つ。日本が勝てば株価は上がる」と信じた鈴久は株を買いあさった...

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日露戦争を記念した復刻スイーツ「日本海」って?

...この店の先代は100年前の日露戦争に出征し、幸いにもぶじ生還。その時、日本の大勝利を記念してこの「日本海」というお菓子をつくったのだそうだ...

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捕虜の扱い手厚かった 平和考える日露戦争シンポ

...国際シンポジウム「捕虜から見た日露戦争」が三日、大阪市北区の大阪国際会議場で開かれ...日露戦争では両国ともハーグ条約の規定を順守して捕虜を手厚く扱い、世界から称賛された...

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終結100年日本兵捕虜墓の村から、ロシア兵墓地を慰霊--大阪・泉大津

...日露戦争(1904~05年)で捕虜となり亡くなった日本兵の墓があるロシア北西部のノブゴロド州メドベージ村のウラジミール・ロゴジン村長(55)らが...

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水野広徳の遺品など松山市に寄贈 子規博で一部公開

...資料は、軍服や勲章など大佐まで務めた海軍時代の遺品や、日露戦争の海戦に従軍した経験を著したベストセラー「此一戦」の直筆原稿と初版本のほか、反戦・反骨の意志がよく表れている短歌などの書、愛用の筆など。代表的な書5...

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護国神社で日露戦争100周年祭

...讃岐宮県護国神社で六日、同市に縁の深い乃木希典旧陸軍大将をしのぶ「日露戦争百周年祭」(同祭実行委員会主催)が開かれ...

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日比谷公園がオープンから100年

...明治時代には日露戦争後の講和条約に反対する民衆による日比谷焼き打ち事件が発生。...

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