「明治天皇と日露大戦争」あらすじ
明治37年 ―― 不世出の大叡帝明治天皇を戴き極東の一君主国から世界列強に伍する近代国家として飛躍的変貌を遂げつつあった日本は、ロシアの極東侵略を前に未曾有の国難に直面した。日清戦争で保有した遼東半島を三国干渉によって返還させたばかりか、ロシア自身が強引に之を借り受けて旅順を要塞化し、北清事変を奇貨として満州に兵力を増強、まさにその圧力は北朝鮮にまで及ばんとして、日本国民の憤激は最高潮に達した。

時の外相小村寿太郎はロシアと交渉を持つ事14回、隠忍に隠忍を重ねて1月12日に至るや、元老会議に於て戦争不可避の結論を得て天皇御臨御の御前会議にのぞんだ。
玉座を拝するものは元老伊藤博文、松方正義、井上馨、内閣より山本権兵衛海相、寺内正毅陸相、小村寿太郎外相、曾禰荒助蔵相、軍より大山巌参謀総長、児玉源太郎参謀次長、伊東祐亨軍令部長、伊集院五郎軍令部次長。 ―― 明治の英雄達はこもごも立って自衛上対露宣戦の必要性と短期決戦の勝算を述べて御聖断を仰いだ。しかし、天皇は更に慎重に打開策を講じることを望まれ、国民への影響を考慮するよう、特に御言葉があって玉座を立たれた ―― よもの海みな兄弟と思う世になどなみかぜの騒ぐらむ とは当時の御製である。
更に3週間の交渉が重ねられたが、その間もロシアは兵力を増強して韓国国境を越え、旅順には名将ステッセル将軍を配して鉄壁の要塞と化した。
2月3日、大内山は静かな激情につつまれ、宮中御学問所の御前会議に於て遂に御聖断は下った。
時にロシアは世界最大の陸軍国、その極東兵力のみを以ってしてもわが数倍に達する大敵であった。
東郷平八郎司令長官の率いる連合艦隊は直ちに行動を開始して旅順を砲撃、爪生少将の第四戦隊は露艦2隻を爆沈せしめ、陸軍は仁川に上陸した。続いて2月23日、有馬中佐、広瀬少佐以下決死隊77名は第1回旅順閉塞作戦を敢行、27日には更に70名の決死隊をすぐって第2回閉塞作戦を決行したが、港口要塞砲の猛撃の為杉野一等兵曹を失い、兵曹の身を案じて脱出の機会を逃した広瀬少佐もまた「杉野はまだか!」と呼びながら肉片と血染めの海図を残して旅順港内に散化した。
この作戦中、巡洋艦「春日」と「吉野」が衝突事故で沈没、また戦艦「初瀬」と「八島」の2隻は敵の浮設水雷で爆沈。山本海相と伊東軍令部長は恐懼して進退を伺ったが、「天皇には辞職がない」と仰せられ、両将は大御心に感涙した。
5月、黒木大将の第一軍、奧大将の第二軍、野津大将の第四軍全て数十万の大軍は南満州の昿野千余里に一大戦線を展開し各所に於て露軍を圧倒、更に満州軍司令官大山元帥、児玉総参謀長の追発を得て8月、遼陽大作戦を開始した。時を同じくして、乃木希典将軍の第三軍は8月24日、第1回旅順総攻撃を決行。名将ステッセルのもとに600の砲門を一斉に怒号させ、最新兵器機関銃弾を雨あられと浴びせる精兵3万の大要塞は、文字通り死山血河となって日本軍の屍体で埋った。
同じく遼陽作戦も激烈を極め、8月30日、歩兵34連隊の橘大隊長は首山堡要塞の敵前50メートルまで突撃また突撃、右腕が傷つけば血刀を左手にかえて遂に敵陣に突入、軍旗のもとに戦死した。かくて9月3日、クロパトキンは遼陽を総退却、更に沙河大会戦に大勝した。
この頃、バルチック艦隊は既に東洋に向い、大本営も国民もひたすら露艦隊到着以前に旅順を陥落させる悲願に燃えた。その為山県参謀総長、山本海相等は第三軍乃木大将更迭を考えて聖慮を仰いだが、天皇はあくまで乃木大将を御信頼になり、11月3日改めて優握な勅語を賜わり将軍を感泣させた。
11月26日、愈々第2回旅順総攻撃。乃木軍の前面には名だたる要塞「東鶏冠山」、「Q砲台」、「二竜山」、「盤竜山」そして「二百三高地」 ―― 彼我の砲声は天地に轟き、白襷決死隊は肉弾また肉弾、壮烈鬼神も哭く猛攻また猛攻、さきに長男を戦死させた乃木将軍は更に次男保典少尉もここに失った。

続いて第3、第4の総攻撃が加えられ、38年1月元旦、さしもの旅順も乃木将軍の軍門に降ったのであった。
これに勢を得た日本軍は第一、第二、第三、第四の全軍一丸となって奉天を包囲、3月10日奉天に入城した。

―― そして運命の日本海大海戦の日は来た。5月27日、「敵艦見ユ」との報告に連合艦隊は全艦直ちに発進、旗艦三笠のメインマストにはZ旗が掲げられた。午後2時8分、敵艦スワロフが悲劇の第一弾を放った。彼我の距離は1万2千、1万、8千5百、8千と迫り東郷長官はここに乾坤一擲の敵前左旋回を行って、距離6千で猛然スワロフを一斉射撃、忽ちその戦斗能力を失わしめ戦列離脱、続いてオスラビヤ、アレキサンドル三世以下を次々に撃沈し翌28日、午後3時に到り、バルチック艦隊を完膚なきまでに全滅せしめたのであった。
かくして明治天皇の御威徳と、全国民一団結の至誠神に通じて、この大戦は奇蹟的大勝利に終り全国津々浦々に国民の歓喜と感激は爆発、東洋の一島国は世界の一等国に列したのであった。
(パンフレットより抜粋)
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