「広瀬武夫」の経歴

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広瀬武夫の経歴(年譜)

西暦 年号 月日 出来事
1868年 慶応4年 5月27日 豊後国直入郡竹田町(大分県竹田市)に、
父重武、母登久子の次男として誕生
1871年 明治4年 8月2日 弟潔夫誕生(のち森川姓) 4
    父重武、裁判官として単身関東、中部地方の任地を転々する  
1873年 明治6年 12月14日 妹登代子誕生 6
1875年 明治8年 4月18日 母登久子死去(享年33歳) 7
1876年 明治9年 4月 竹田小学校に学び、森玉彦の私塾に通う 8
1877年 明治10年 西南戦争の兵火竹田に及び、広瀬家全焼 10
    10月 父重武の迎えにより、高山へ移転  
    高山煥章学校(高山東小学校の前身)へ転学  
1879年 明治12年 9月30日 兄勝比古海軍兵学校へ入学 12
1882年 明治15年 3月 高山煥章学校を卒業 14
    4月 代用教員として同校に教鞭を取る  
1883年 明治16年 4月11日 岐阜華陽中学校へ臨時入学 15
    10月 父の許しを得て上京、講道館に入門する 16
    12月3日 芝新銭座の攻玉社に入社  
1884年 明治17年 1月15日 継母きん子死去(享年34歳)  
1885年 明治18年 6月 海軍兵学校採用試験に落第 18
    9月26日 追加募集入試に合格  
    12月1日 築地の海軍兵学校に入校(15期生)  
1886年 明治19年 4月 父重武、後妻として高崎コト子を迎え、退官し郷里竹田に帰る  
      好成績で進級 19
1887年 明治20年 7月 外傷を負う 20
    7月25日 一号生徒となる  
    11月3日 端艇競漕の橈手に選出されるが、負傷のため辞退  
1888年 明治21年 3月30日 飛鳥山へ駈足行軍するが、脚部に激痛、発熱  
    4月1日 入院  
    4月2日 左脛内側の打撲傷と判明  
    骨膜炎と診断、数回の切開手術を経て良好に向かう  
    5月1日 再び疼痛加わり発熱、一時は脚部切断も覚悟する  
    5月4日 切開を行う  
    6月 退院 21
    8月13日 兵学校江田島に移転  
    9月22日 宮島へ行軍、体力もとに戻る  
    12月21日 実地航海演習のため軍艦「天龍」に乗る  
    この年、講道館より初段を充許さる  
1889年 明治22年 4月20日 海軍兵学校を卒業(病のため成績は下位)  
    海軍少尉候補生、実地練習のため軍艦「比叡」乗組  
    5月 横須賀に移る  
    8月13日 比叡」艦にて品川出港、遠洋航海の途に登る 22
    清水港の船宿「末広旅館」に晩年の清水次郎長を訪ねる  
1890年 明治23年 3月14日 比叡」乗組を免ぜられ、「海門」乗組となる  
1891年 明治24年 1月7日 海軍少尉に任官、「海門」分隊士となる  
    6月11日 比叡」分隊士となる 24
1892年 明治25年 7月4日 一週間竹田へ帰省 25
    12月1日 軍艦「千島」遭難、救援におもむく  
1893年 明治26年 12月2日 海軍水雷術練習所分隊士となる 26
    柔道の段位が三段となる  
1894年 明治27年 7月25日 日清戦争に従軍 27
1895年 明治28年 2月17日 清国よりの捕獲艦「鎮遠」の回航員となる  
    2月20日 海軍大尉、横須賀水雷隊攻撃部艦長に補せられる  
1896年 明治29年 4月1日 横須賀水雷団第二水雷艇隊艇長となる 28
1897年 明治30年 1月 親友財部彪の縁談を断るため、山本権兵衛邸を訪ねる 29
    3月9日 海軍軍令部に出仕  
    3月14日 上村翁輔邸に秋山真之と共に同居する  
    5月12日 海軍軍令部諜報課課員に転補  
    6月26日 ロシア留学を拝命 30
1898年 明治31年 9月18日 ロシア語に慣れるためロシア人の家庭へ転宿 31
    11月 八代六郎中佐の勧めでフランス語習得を始める  
1899年 明治32年 4月25日 留学を免ぜられ、ロシア駐在武官となる  
    6月13日 モスクワのクレムリン見学 32
1900年 明治33年 4月6日 ロンドン着、ロンドン見学  
    4月11日 サザンプトンで戦艦「朝日」を見学  
    4月17日 ポーツマス軍港見学  
    4月23日 秋山真之とニューカッスルで合流  
    9月25日 海軍少佐 33
1901年 明治34年 4月6日 父重武死去(享年66歳)  
    10月12日 帰朝を命ぜられる 34
1902年 明治35年 1月18日 モスクワ発  
    2月12日 シベリア踏破のソリに乗りスレチェンスクを出立  
    3月4日 ウラジオストク着  
    3月14日 ウラジオストク発  
    3月19日 旅順着、極東総督アレクセーエフ大将を官邸に表敬訪問  
    3月28日 日本に帰国  
    4月22日 軍艦「朝日」水雷長兼分隊長となる  
    5月3日 海軍省にて「シベリア及満州旅行談」講演  
    11月21日 横須賀鎮守府軍法会議判士長となる 35
1903年 明治36年 1月11日 海軍戦術講究員として2週間、海軍大学校で研究  
    9月17日 佐世保のカッター競漕会で広瀬の乗り組む「朝日」が優勝 36
      露字新聞などを購読、引き続きロシア研究にいそしむ  
1904年 明治37年 1月21日 分家の上、大分県平民となる旨届出  
    2月6日 連合艦隊佐世保より出撃  
    2月10日 日露戦争、宣戦布告  
    2月18日 旅順口閉塞決定  
    3月20日 第2回旅順港閉塞のため福井丸に乗船  
    3月25日 秋山眞之と最後の歓談  
    3月27日 午前4時30分任務完了、離船、戦死  
3月26日付にて海軍中佐となる
      功三級金鵄勲章並びに年金700円、勲四等旭日小緩章
正四位を追贈
    4月8日 講道館より柔道六段を追贈
    4月13日 海軍葬、東京青山に葬る
1935年 昭和10年 5月25日 広瀬神社が豊後竹田に建立

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