HOME > 「坂の上の雲」人物・用語辞典 > 索引
索引 : 愛媛
1827年(文政10年)11月14日~1905年(明治38年)6月19日 松山藩士山口正貞の二女として生まれる。 25歳の時に、秋山平五郎久敬に嫁ぐ。 ... »
全文を表示
1868年3月20日~1918年2月4日 海軍軍人。 愛媛県出身。 1890年(明治23年)海軍兵学校卒(17期)。 日清戦争に砲艦筑紫の航海士として ... »
全文を表示
1822年(文政5年)3月5日~1890年(明治23年)12月19日 秋山平五郎久敬。 秋山好古・秋山真之の実父。 旧松山藩時代は徒士目付筆頭の職をつ ... »
全文を表示
1859年1月7日~1930年11月4日 陸軍軍人。 伊予国生れ。 日本海海戦時の連合艦隊の海軍中将秋山真之参謀は弟。 陸軍士官学校卒(第3期)。 陸 ... »
全文を表示
伊予国旧藩士。 旧藩時代は秋山久敬と同じ徒士目付をつとめる。 明治維新後は県の奨励に従い、百姓になる。 四男は、のちに高浜家に養子にいった俳人高浜虚子 ... »
全文を表示
旧士族。凧絵を描くのが上手。 秋山真之は、伊奈のオイサンの絵を真似るうちに、そのうちオイサンよりも絵が上手になる。 ... »
全文を表示
秋山好古・秋山真之の従兄。真之より三つ年上。 秋山真之が上京する際に同行した。 はじめて見た鉄道馬車のレールを踏みまたいでよいのかわからず、また田舎者 ... »
全文を表示
正岡子規の母方の祖父。 旧松山藩随一の学者で藩儒をつとめる。 断髪令が施行された明治4年になっても"ちょんまげ"のままで生涯を通し、初孫の子規にも"ま ... »
全文を表示
大原家の当主。 正岡子規の母親お八重の弟で、加藤恒忠の兄にあたる。 ... »
全文を表示
1857.4.20~1910.10.1 国文学者・唱歌作詩者・歌人。 伊予国生れ。 独学で国文学を研究し、東京帝国大学・東京高等師範などの教員を勤める ... »
全文を表示
旧松山藩士 明治維新後、銭湯をはじめる。 この銭湯の風呂焚きとして秋山好古を雇う。 賃銭は一日天保銭一枚。 ... »
全文を表示
1859年~1923年 大原観山の子。 正岡子規の叔父。 司法省法学校に学ぶが、校長と対立しストライキを計画し退学させられる。 外交官となり特命全権大 ... »
全文を表示
秋山好古の幼友達。 松山の教員伝習所で教鞭をとる。 明治10年の夏、暑中休暇で帰省した士官姿の秋山好古を最初に目撃する。 フランス語の勉強が思いっきり ... »
全文を表示
旧松山藩士。儒者。河東碧梧桐の父 維新後は旧藩主久松家の家扶。 正岡子規に詩文のつくり方を教授する。 ... »
全文を表示
1873年2月26日~1937年2月1日 俳人。 愛媛県出身。 本名秉五郎。 松山中学時代に正岡子規から俳句の手ほどきをうけた。 二高中退後、上京し、 ... »
全文を表示
1837-1908 明治期の司法官僚。宇和島藩士出身。 品川県権少参事などをへて、1871年(明治4年)司法省に入り、翌年司法省判事。 名古屋裁判所所 ... »
全文を表示
秋山真之、正岡子規が通った愛媛県立松山中学校の校長を務める。 父は旧松山藩の儒者近藤明洲。兄は近藤元修、弟は近藤南州(元粋)。 ... »
全文を表示
伊予国旧藩士。 安政6年、幕府の最高学府である昌平黌に学び、版籍奉還までの間は藩の学問所の教諭をする。 明治維新後は私塾をひらいて城下の師弟を教える。 ... »
全文を表示
旧松山藩の儒者の子。漢学者。本名は近藤元粋。 大阪で猶興書院という学習塾をおこす。 秋山好古が大阪に出る際に同じ舟に同乗する。 ... »
全文を表示
1872年11月6日~1951年3月17日 旧藩時代は桜井家は火術方であった。 岩戸流と宇佐美流の伝書をもつ。 幼少時代、ガキ大将であった秋山真之の秘 ... »
全文を表示
1879-1965 明治後期~昭和前期の陸軍軍人・作家。 筆名落葉。愛媛県出身。 陸軍士官学校卒。 日露戦争の旅順第1回総攻撃で瀕死の重傷を負う。 1 ... »
全文を表示
1868年12月12日~1932年5月26日 明治中期~昭和前期の陸軍軍人。 愛媛県出身。 陸軍士官学校(1期)・陸軍大学校卒。 富裕な材木商の家に生 ... »
全文を表示
1849年2月21日~1896年2月5日 明治期の政治家・小説家。 伊予国生れ。 本名重恭。 藩校明倫館に学び教授となるが、上京し一時大蔵省勤務後、1 ... »
全文を表示
明治期の陸軍軍人。伊予国の庄屋の子の生まれ。 旧藩時代、生家は裕福であったが、維新後没落し魚の行商になる。 後に下士官養成所に入り、陸軍士官学校が創設 ... »
全文を表示
1874-1959 俳人・小説家。 旧姓清。 松山市出身。 河東碧梧桐とともに正岡子規門下の双璧。 1898年(明治31年)「ホトトギス」を松山から東 ... »
全文を表示
1871-1951 海軍軍人。 愛媛生まれ。 海軍兵学校卒(20期) 吾妻、薩摩、扶桑艦長。 アメリカ駐在武官も務めた。 1922年(大正11年)海軍 ... »
全文を表示
1827-1880 幕末~明治初期の洋式軍事技術者。 名は成章、通称は斐三郎。 父は伊予国大洲藩士武田敬忠。 1848年(寛永元年)緒方洪庵の適々斎塾 ... »
全文を表示
東京大学政治学科を卒業し内務省に入る。 のち大蔵省の参事官・総理大臣の秘書官になり、大阪や神戸の税関長も務める。 清国にわたって袁世凱の財政顧問になり ... »
全文を表示
儒者。大原観山の後輩。 幼少期の正岡子規の先生。 家禄奉還金を利殖にまわしたりそれで商売をせず、そのお金をことごとく使いきると、食を絶ち餓死してしまっ ... »
全文を表示
愛媛生れ。 メッケルの門下生(第三期)。 北清事変に清国駐屯軍事参謀長として上海に。 奉天会戦後に歩兵第二連隊長となったが終戦。 1907年(明治40 ... »
全文を表示
1847年4月15日~1926年2月20日 明治・大正期の俳人。 松山藩士として江戸で生まれる。 幼名助之進。 伊予国松山藩の藩校明教館で漢学を学ぶ。 ... »
全文を表示
1866-1936 明治期の飛行機研究家。 伊予国生れ。 陸軍勤務中の1889年(明治22年)飛行機の研究を始める。 翌年ゴム動力で飛ぶプロペラ式模型 ... »
全文を表示
旧松山藩士。学者。 常盤会寄宿舎初代監督。 久松家家令藤野漸の実兄。 ... »
全文を表示
旧松山藩士。正岡子規の叔父にあたる。 廃藩後は東京に出て会計検査院に務めたが、中途で退官し、久松家の家令となる。 のち松山に戻り、国立第五十二銀行の創 ... »
全文を表示
旧松山藩の水練神伝流師範。 お囲い池の先生。 ... »
全文を表示
1867年9月17日~1902年9月19日 俳人・歌人。 伊予国生れ。 本名常則。 松山の寺子屋に学び、藩儒に漢学を学ぶ。 松山中学時代、自由民権思想 ... »
全文を表示
正岡子規の父。 子規が六つの時死去。 ... »
全文を表示
大原観山の娘。正岡子規の母。 子規を死ぬまで升(のぼる)と呼ばず"のぼ"と呼んでいた。 ... »
全文を表示
1870-1941 正岡子規の妹。 はじめ陸軍軍人恒吉忠道と結婚するが離縁される。 次に松山中学校で地理を教える中堀貞五郎と再婚するが、のち離縁する。 ... »
全文を表示
1867-1957 本名正之。 明治14年松山中学に入学、後に正岡子規とともに中退し上京する。 「子規は、小学校に入ったとき、まだ"まげ"を結っていた ... »
全文を表示
1869年3月13日~1963年3月13日 海軍軍人。 愛媛生れ。 海軍兵学校卒(第17期)。 秋山真之とは同郷かつ同期。 日露戦争では連合艦隊参謀と ... »
全文を表示
旧松山藩士。 慶応義塾にて福沢諭吉に学ぶ。 愛知県立名古屋師範学校付属小学校の主事。 秋山好古を陸軍士官学校に導く。 ... »
全文を表示