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もりおうがい【森鴎外】

1862年1月19日~1922年7月9日
小説家・軍医。
本名林太郎。
石見国生れ。
1872年(明治5年)上京して西周(あまね)家に寄寓。
1881年東大卒。
陸軍に入る。
1884年からドイツに留学し、衛生学を学ぶ。
1890年清新な異国趣味と雅文体による「舞姫」などの浪漫的作品で文壇に登場。
その後著作から遠ざかるが、1907年に軍医総監・医務局長となり地位が安定したことと、1909年の「スバル」創刊に刺激されて「キタ・セクスアリス」「青年」「雁」などの反自然主義的作品を発表。
乃木希典殉死に衝撃をうけ、「興津弥五右衛門の遺書」「安部一族」などの歴史小説に着手。
退任を契機に「渋江抽斎」などの史伝に没頭した。
その他評論活動、「即興詩人」などの翻訳活動、作歌活動など多岐にわたって活躍。
日清戦争日露戦争で兵士を苦しめた脚気の原因が食べ物にあると想定し、艦内の食事を工夫して防いだ海軍軍医高木兼寛に対して「ドイツの進んだ医学でもまだ脚気菌は発見されていない。だから、治療薬はない。兵隊が喜ぶ白米を食べさせろ」と誤った所見からますます脚気を逆に広めさせてしまう。


【逸話】
医学者であるとともに、すぐれた文豪の鴎外は、病気が重くなっても、帝室博物館の総長として、毎日、上野の山へ通った。
ある日、作家の小島政二郎が鴎外を訪ねると、こめかみの血管が怒張してぜんまいのようであったという。
「僕の余命はいくばくもない。萎縮腎(いしゅくじん)だ。これは死病で方法がないのだ」というので、小島が、「それではなおさら、出勤なさらずに、自宅で安静にしておられなければいけないじゃありませんか。それが、先生のお説でもあったはずです」
鴎外は静かにこう答えたという。
「死病だから、それも無駄なことだ。この上、病が進むと、ムクミが足にくる。これが最後だ。そのときまで僕は仕事をするよ」


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